もしあなたがディズニーキャストに憧れていて、念願の仕事につけたとする。希望していた職種に配属が決まり、コスチュームを着たら、どう感じるだろうか。
逆に、希望でない職種に配属されたとしたら。全然着たくないコスチュームを毎日着なきゃいけなくなったら。
憧れと悲劇は、案外隣り合わせかもしれない。
目次
建物内のルートを覚えるのもトレーニングのうち
1992年8月。
2週間のトレーニングも折り返しを迎えた。
オープニングキャストのトレーニングを受けていた僕らは、施設内の構造と出入りするルートを覚えることにかなりの時間をかけた。最初の立ち上げに関わった者の特権かもしれない。
アトラクションの建物は、通常利用する場所とそうでない場所がある。
普段勤務する上でひんぱんに行き来する、屋外から内部の乗り場へ行くとか、出口に向かう際に使う通路などは、日常的に通るルートだ。
それとは別に、専用のルートが設けられている。
これは、アトラクションが停止して、利用中のゲストに降りてもらい、歩いて外へ退出させる際に使うルートだ。その他にも、立ち上げ作業で移動するルートなどがある。
特定の作業をする際は決められたルートを通るという決まりがある。
たとえ目的地まで複数のルートがあっても決められた道を通らなくてはならない。しかも作業別に最短距離を歩くように、ルートが別になっている。
なのでキャストは、施設の配置を覚えるというよりは、目的別に道を覚えなければならない。
建設の最終段階にあるスプラッシュ・マウンテンでも、トレーニング中に入れる場所はどんどん入って行く。
最後の1週間は、毎日このルートを覚えるために全ルートを最低一度は回った。10種類を超えるルートを、一人ずつ先頭に立ち、真夏の時期にみんなで汗だくになって歩いて回る。
建設中のスプラッシュ内部はまだエアコンが作動しておらず、ムワッと熱気が立ち込める狭い通路をひたすら往復する。ルートによっては窓もない狭い通路で、しかも階段が何十段もあって登ったり降りたりを繰り返すので、歩き回った後はへとへとになる。
ところで、それまで僕らは何を着ていたかというと、通称「メンテ服」と言われる服装をしていた。これはメンテナンスキャストが皆着用している、上下共に紺色の地味なコスチュームだ。
上はポケットのついた青シャツと紺のジャケット(いわゆる作業着)。下は地の厚いスラックス。整備部の方が作業中に着用するため、けっこう丈夫な作りになっている。
正直言うと、夏場にこれを着るのはかなり暑い。汗だくになり、シャツに汗ジミを浮かせて僕らは館内をひたすら歩き回った。
毎日飽きるほど繰り返し歩いたため、完全に覚えてしまった。
その後入ってくる新人さん達はみんな、このルートを覚えるのに四苦八苦する。僕らオープニングキャスト以降に配属される人たちは、3ないし4日間で全業務を叩き込まれるので、ほとんどの人はすぐにルートを覚えられない。
一つのルートを一度しか通らなかったり、あるいは一度も通らず、デビューしてから教わってね、とルート習得を後回しにするためだ。
☆
あっという間に2週間のトレーニングは終了した。
その後、先に配属されている人たちと合流し、ここからは完全シフト制での研修が始まる。
僕が受けたトレーニングは6人制トレーニングの最後から2番めだったので、ほぼ全員が集結しつつあった。他のアトラクションで勤務していた新規組のメンバーも戻ってきて、大所帯になった。
この時のキャスト人数は、リード・トレーナーを加えて100名を少し超えるくらいだったと思う。
初めてスプラッシュのコスチュームを受け取る
8月13日。
この日は初めてスプラッシュのコスチュームが渡された日だ。
そろそろイシュー(貸与)できるぞ、という話は少し前からあり、その日がようやく決まった。
まだスプラッシュ・マウンテンのコスチュームがなかったのと、アトラクション内部はまだ「工事現場」だったからだ。
そんなメンテ服とも、そろそろお別れの日が近づいてきた。
☆
「コスチュームを受け取りに行って下さい」
とリードから指示があり、早速イシューカウンターへ行く。
当日の勤務終了後に、イシューカウンターへ行ってみた。
「お名前をお願いします」
と聞かれ、
僕が氏名を答えると、奥へ引っ込んでいったイシューのキャストが、ハンガーに吊るされた自分用の一揃いを持ってきた。
まるで舞台の俳優みたいだ(笑)
めちゃくちゃすごいデザインというわけではなかった。どちらかというと普段着に近い? いや、そんなこともないか……
「こちらへどうぞ」
初めて借り受ける時の恒例の作業、フィッティングを行うためだ。
左脇の専用ドアを指すイシューキャスト。
鉄の扉を開けてもらい、カウンターの内側へ通される。
初めて見たコスチュームは、どうやって着たらいいか分からない。適当に袖を通す。
スプラッシュのコスチュームは、襟付きシャツとデニムのスラックス、ベストで構成されている。それほど奇抜な衣装というわけでもない。夏用なので、ジャケットはまだ支給されない。
当たり前だが全アイテムが新品であり、布地がゴワゴワして着にくい。大げさにいうと、プラスティックでできた衣装を着ているような感覚だった。
そしてサイズの合わないアイテムを交換してもらって、終了。
翌日の勤務からはそれを着用して出勤する。
面白いのは、着た自分も初めて見たということは、他のキャストも見るのが初めてなので、まるで珍獣を見つけたかのようにやたらと冷やかされる。
僕の場合、古巣のマークトウェイン号のみんなにやたらと笑われた。
リバー鉄道で勤務したこともあった僕は、汽車のキャストにも発見され、何じゃそりゃ〜とバカにされ、指差され爆笑される。
しばらくは、ただの見世物になるのだ。
☆
やがて月が変わり、9月を迎える頃には、ほぼ準備が整って来た。
リードオフィスと呼ばれる部屋からは、ヘルメットや腕章をかけるラックが撤去され、普通のがらんどうの部屋になった。
クリッターカントリーの地面は綺麗に舗装されて、いよいよディズニーのパークらしくなっていた。
工事現場らしさの残っていた内部も徐々に片付いて、とうとう引き渡しの日がやって来た
「ついにこの日を迎えたよ」
リードたちはこの日を特別な日と位置付けていたようで、朝礼の時も感慨深げに語っていた。それは施設の管轄が、建設会社から正式にオリエンタルランド社に移管される日だからだ。
この日を境に、運営部のキャストが自由に内部で行動できることを意味していた。