正直、この一連の回想録は、非常に地味で面白味が少なく、派手さに欠けると思っている。しかも昔話なので、当時のTDLを知らなければ伝わりにくい部分も多い。
そして最新の東京ディズニーリゾートは、随分遠くまで行ってしまった。当時のスプラッシュ・マウンテンにはまだファストパスもシングルライダーもない。
遠い世界の寓話を立ち聞きしたつもりで、お読みいただければと思う。
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もし僕が書いたこの回想録を、かつて一緒に勤務したオープニングキャストが読んだらきっとこう思うだろう。
一番ネタになりそうなことを全然書いてないじゃないか、と。
そう、あえて書かなかったのだ。
なぜなら、それを説明しても一般のゲストにとっては全然面白くないからだ。遠い過去のこととは言え、当事者にとってはただの苦痛でしかない、と思うから触れなかったのだ。特に、その日来園されたゲストにとって苦痛であるならなおさら。
ただ、隠すことでこの先かえって説明に窮する場合が多々ありそうだと気付いた。なので、面白いかどうかは別として、一度触れておく意味はありそうだと思った。
今回は運営停止、中でもシステム要因による事案についてのお話だ。
あくまで僕が見聞きしたことのみを取り上げているので、ご容赦いただきたい。
特に、当時のゲストへ多大なご迷惑をおかけしているエピソードであるがゆえに、慎重に取り扱う必要がある。
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キャストがゲストに向けて広く告知することをスピールという。パレードやアトラクション入口のキャストは、不特定多数のゲストへ向けて大きな声を出して伝える。
スピールには、肉声で行うものとPAマイクを使って行うものがある。シアター系アトラクションはマイクで語りかける。ライド系アトラクションは、一部を除けば肉声。
肉声スピールでも、パーク内を自由に歩いているゲストへのものと、もっと限定的なスピールもある。
またキャストが直接肉声で喋る以外に、テープスピールも用意されている。これは録音された音声を流すもので、ボタンを押せば乗り物に乗っているゲストへ向けて聞かせることができる。通常運営中に流すものや、運営停止する際に流すものがある。
スプラッシュ・マウンテンで運営停止する際に流すテープスピールは、城達也さんが担当し、超マジメに告知してくれる。
「大変申し訳ありません。スプラッシュ・マウンテンは……」と城達也に謝られるのだ。これで少しは怒りも収まる?(笑)
今は変わったのかな? 僕が現役中はずっと同じだったけど。
目次
システム調整はアトラクションが避けることのできない宿命である
アトラクションは機械と人間のコンビネーションでもって運営が成り立っている。
だが、何らかの理由により、止まることがある。
運営停止だ。
機械の故障の時もあれば人為的理由の時もある。天候、天災が起因の場合もあるしゲスト要因も、ある。
新しいアトラクションはおそらく、最初から完璧な状態でスタートを切ると思われがちだが、違う。明らかに違う。
これは僕の経験から言えるのだが、アトラクションのライドシステムは、稼働し始めた初期の頃は安定せず頻繁にトラブルが発生する。
完璧な設計で全ての機械装置がきちんと整備され点検されていても、運営中にシステムエラーが発生し停止してしまう、そういうものなのだ。
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研修中のことだ。
僕らがアトラクションの内部へ入れるようになり、研修と称して各ポジションの復習をしていた時。ステーション(乗り場)で突然アラームが鳴り出した。
それまで動いていたボートが中途半端な位置でピタッと停止し、動かなくなる。人は乗っていない。
「あー、止まっちゃった」
トレーナーは言い、早速リードへ連絡。システムがダウンしたのだ。
「AES(安全装置の一種)ですね」
とトレーナー。
システムの安全装置の種類はトレーニング中に学んでいたが、実際に目撃したのは初めてだった。
人は乗っておらず、空ボートが循環している中での停止なので、勝手にボートが止まっただけ。何の前触れもなく突然止まる。
安全装置だから、止まること自体は悪いわけではない。むしろ正しく機能している証拠だ。
人が乗っている状態での初めての緊急停止も、研修中に発生した。
ゲスト役とキャスト役に分かれて各ポジションの練習をしていた時だ。
キャスト役は乗船させる。ゲスト役はボートに乗り込み出発する。
普通のゲスト同様に乗れるし、降りたらふたたび乗り場へ行って再乗船する。それをひたすら繰り返すのである意味ラッキーな時間だ。
ある日、僕や他の数名がゲスト役になり、乗り込んで出発した。すでに5周目くらいだったろうか。
数分後、僕らのボートは途中で止まってしまった。
少しの時間なら、スプラッシュはよく「滞留」する。ドロップの手前(落ちる直前)とかリフト・アプローチ(登る手前部分の水路)もボートが連なって止まるけど、それ自体は全く正常動作だ。
しかしその時は、落ちる手前で止まったまま。
2分たっても3分たっても動かない。
さすがに変だな、とみんなで話し合っていると、館内放送が流れ、
「ARS(安全装置の一種)でーす。ボート上のスプラッシュマウンテンキャストは降りて下さーい」
とリードの声が。
あ〜あ、ここでおしまいかと、僕らは降りて退出ルートから出て行くことに……。
ゲストが乗った状態での最初の緊急停止はいつだったろう。
忘れてしまった。メモに書いてある最初のダウンはスニークオープン初日だが、僕は立ち会っていない。
スニーク期間中はしょっちゅう止まったので、その時だろう。
ダウン後の、エヴァキュエーションという退出作業
乗り物が進んでいくアトラクション内部のことを、メインショーエリアという。普段は人が入れないようになっているが、緊急時には内部へ入っていき、ゲストに降りてもらう。
スプラッシュが緊急停止すると乗っている人達はどうなるか。
種類にもよるが、すぐに復旧するのは不可能なので、乗っていたゲストには降りてもらう。これをエヴァキュエーションと呼ぶ。
スプラッシュのアトラクション専有面積はかなり広い。利用時間が他の2つのマウンテンよりずっと長く、公式には約10分。
その広い場所に散らばった全てのボートから降りてもらうのだから、広いのは当然で、時間がかかる。
58台フル乗船していたら464名。空席もあるし乗船率は目一杯乗せて7人強なので406、つまり400人ちょっと。
これだけの人数を一人一人順番に下ろして行く。水路脇の広くない通路を歩いてもらい、長い退出ルートを連れて行く。
通路は決して歩きやすい場所ではない。道幅は1メートル程度、装飾された地面はデコボコしていて不安定で、気を付けて歩かないとバランスを崩すので、自分だけでなく歩かせるゲストにも気を配らないといけない。
キャストでさえ慣れていない場所を、初めて歩くゲストを連れて退出するのだから、神経を遣わずにはできない。
合計9カ所で、別々に退出作業を行う。
ある場所は地面がびしょ濡れで足元が滑りやすいし、またある場所は脇に立つ樹からでっかいイバラのトゲが飛び出ていて(材質は硬めのゴムくらい。ここを歩くゲストを想定しているのだ)ぶつからないよう注意が必要。
下手にぶつかるとよろけて水路へ落ちる危険性もある。そんな箇所に限って通路の幅が1メートルないくらいの狭さなので気を抜けない。
気の抜けない誘導を確実に行うには、少人数単位で行うのが確実だ。
要領よく退出させるには、ゲストを一気に下ろしてまとめて連れて行くのが効率的。だが、慎重さを要するため、数十名を連れて行くには2人以上のキャストが絶対必須だ。
ところが残念ながら、各退出場所に配置できる人数は限られており、ほとんどの箇所は2名も出せない。アトラクションは館内や列内のゲスト対応、屋外の入口付近へのキャスト配置も必要で、圧倒的に人員が足りないのだ。
なので、場所によっては1台分のゲストを下ろして長い通路を連れて行き、退出完了したら、元の場所へ戻って2台目のゲストを下ろし…と慎重に作業を進めるしかない。
しかもそんな場所に限って、100段近い階段を上り下りするという……。
安全最優先に対応するためには、必然的に時間を要する作業とならざるを得ない。
リードは究極の難しい判断を迫られる
非常事態でありながら配慮しつつゲストを誘導しなければならないため、それなりのスキルが必要で、ところが頻繁に起きるわけではないので慣れる機会がまるで、ない。
ブレイクダウン専用のトレーニングも実施しているが、訓練はしょせん訓練であって本番ではないので肝心の「慣れ」は獲得できないのだ。
だから、本番は慌てる。慣れるには経験を重ねるしかない。
慣れないキャストが焦るとどうなるか。
下手をすると水路に落ちたり、怪我をするかもしれない。いや、自分が落ちるだけならまだいい。ゲストが落水したら……それだけは避けなければ。
ボートは、安定性には優れているものの、水面に浮かんだ状態で降りてもらうわけで、言うほど簡単にはいかない場合もある。
水路がカーブしていてボートの船尾が反対岸に振れて止まっていると、4列目は下船が困難になる。しかもボートは前後から別のボートにがっちり挟まれていて手前に引き寄せるなんてできないし、仮にできたとしても、ゲストが立ち上がった際にバランスが崩れ、ふら〜っと動き出し、再び岸から遠ざかったりしたら、下船は不可能だ。
実は僕らオープニングキャストは、余裕を持ってトレーニングやその後の研修を経てきたので、その後入って来た後輩達より知識量は深い。
加えて初期のシステムが極めて不安定だった時期を経験しているので、何度も退出作業を行っていて、比較的慣れてはいた。
だから、どんな状況であれ、なんとかなると思っていたのだ。
そう、あの日を迎えるまでは。
(つづく)