今回は、僕が歴代最も素晴らしいと評価していた、理想のトレーナーについてお話しよう。
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スプラッシュマウンテンには、ステーションポンドと呼ばれる場所がある。
(今のキャストはそう呼ばないかもしれないが)
残念ながら、ゲストが自由に行ったり見たりできる場所ではない。乗り場と降り場の中間に位置する、岩に囲まれた場所がそれだ。通過する際に、覗き見る分には問題ない。
スプラッシュマウンテンに入場し、乗り場に到達したら、向かって左側を眺めてみよう。
水が池のように溜まっているのが見える。天井から岩石が垂れ下がっていて視界を狭めているが、よく見ると池の向こう側に降り場が見える。
乗り場と降り場は広い吹き抜けの空間としてつながっているのだ。その間に挟まれた空間に、水がちょろちょろと流れ、池を作っている。
元々乗り場は薄暗い空間だが、池の水面に間接照明が当たっているせいで、水が溜まっているのがはっきり分かる。
そもそもスプラッシュマウンテンとは、設定上は天才建築家・ビーバーブラザーズの作った遊戯施設である。
慌てん坊のアライグマ・ラケッティがヘマをやらかし、密造酒の蒸留所が爆発して激しい水流が山の中にできた。
ちょうどその頃、クリッターカントリーにやって来るようになった人間達のために、ビーバーブラザーズが遊び場として作った、というもの。
乗り場は当然水びたしになっていて、だから池が地下空間にできている、というわけ。
スプラッシュの世界観を演出する、素晴らしい一場面と言える。
たまに賽銭が投げ入れられたりする。30センチくらいの浅い水底を覗くと、小銭がちらほら沈んでいる。残念ながら、その類の効能は一切ない。
目次
厳しくて面白い、みんなの模範だったタカオさん
トレーナーの役割は第一に新人のOJT(トレーニング)である。現場に配属された人へ、基本的作業(オペレーション)を教えることだ。マンツーマンで3ないし4日間かけて教える。
新人が入るのは一気にメンバーが入れ替わる時期、春や夏、秋だ。
そしてトレーナーもまたこの季節に合わせて、不足すれば補充する。
オープニングからトレーナーだった人達が順次リードに昇格するのに合わせて、僕らキャストからトレーナーに上がる人達がいた。
その中の一人がタカオさんである。
彼はジャングルクルーズから異動して来た人であり、元々トレーナー経験者だ。スプラッシュへはキャストとして異動して来たが、じきにトレーナーになるのは順当だった。
彼の特徴を一言で表すなら、厳しい人だ。曖昧な仕事を絶対許さない一面があり、適当にやっている人を決して見逃さなかった。適当な手順を見つけると容赦なく噛み付いてくる。
僕も時々、詰め寄られたのを覚えている。
開始直後のスプラッシュはまだまだ対応手順がこなれておらず、実際に運営が始まってみると曖昧なグレーゾーンがいくつもあった。「やらなければならない」のか、「やらなくてもいい」のか、「できるだけやらない」なのか、微妙な判断が要求される場合だ。
基本的にはこうやる、と決まっていても、じゃあ現実にイレギュラーな事象が発生したらどうするのか、起きてみなければ分からず、その時その場に居合わせたキャスト個人の判断に委ねられている部分が結構あった。
そんな時彼は率先してアイデアを出したり、同じ専業キャストと情報交換をし、ベストな手段を模索する。この場合どうすればいいのか、もっとこうすればいいのでは? とみんなと確認しあい、個人の裁量から生まれる対応の差異を埋めるための会話を交わしていたものだ。
タカオさんも、
「トレーナーとかキャストとか関係なく、みんなで一緒に考えながら手順を作っていくべきだよね」
「こういう時どうすればいいかな?」
と、みんなと話し合い、その結論をリードに提案したりしていた。
曖昧な点や不明点を明確にする事で、いい加減な対応で生まれるトラブルを防ぐ意味もあったのだろう。
しかし彼の凄いところは、ただ厳しいだけの人ではなかったところだ。
普段は常に面白いネタや話題を繰り出してみんなを笑わせた。出勤前や退勤後に何人かで集合し、移動用のシャトルバスを待っている時などに、彼は面白いネタを出してくる。ほとんどはくだらないネタばかりだが、思わず笑わされてしまう。
勤務中はかなり厳しいのだが、勤務外ではみんなを楽しませるので、否が応でも言うことを聞かざるを得ない。真剣な仕事の話とくだらない笑い話を交互に繰り出してくるので、どちらも聞き入ってしまう。
これが彼の人身掌握術なのだ。
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飲みや食事に行った際にも、仕事の話をしっかりさせてもらった。ジャングルクルーズでの勤務の話は非常に興味深かく面白かったし、某アトラクションの機械的な対応をボロクソにけなしたり。彼の情熱の一端をうかがい知ることができた。
それ以降も、彼の言葉からは大いに刺激を受けたものだ。
そう。彼こそが、僕の考えていた理想のトレーナーなのだ。
そんなタカオさんが退職すると告げたのは、翌年、1993年の夏のことだ。
スプラッシュも順調に運営されて安定した日々が続き、キャスト不足も解消され新人達が日ごと成長している矢先のことだったので、青天の霹靂だった。
実家の家業を継ぐので仕方ないとは言え、精神的主柱を失うショックは計り知れなかった。
最後の日、ラストトリップはやりたい放題で幕を閉じた
退職の日はとても大盛り上がりだった。
この頃はまだおおらかな時代で、主要キャストの退職者日は、パーククローズ後に、みんなでボートに乗ることができた。
ゲストが乗り終わって1日の運営が終了してからキャストだけで乗る。ある意味やりたい放題だった。
「主賓」が乗船したボートがやって来るのを、内部へ先に入り待ち構えている役がいて、水を汲んだバケツを用意し待機。
彼が乗ったボートがやって来ると、バケツの水を思いっきり浴びせる。滝を落ちる前からずぶ濡れとか。
最後のボートには記念だからと、僕も同乗した。最後のリフトを登り、滝から落ちる直前でボートは手動停止。そこでバケツの水が僕らを直撃。主賓の後ろに乗っている僕までずぶ濡れに。
戻って来て降りると今度は、上でご紹介した、ステーションポンドへ突進。もうびしょ濡れだから何も気にするものはない。直近で退職した者がたまにやらかしていた、池の中へダイブを、タカオさんもやらざるを得ない雰囲気に。
彼は自分の財布を取り出すと、僕に渡した。
「ちょっと持ってて下さいよ、委員長」
僕が受け取ると、彼は水深50〜60センチの広い部分へ、ダイブ。
池の水面から水しぶきが飛び跳ねる。みんな大喝采。
と、タカオさんからの反撃が。彼を見守る僕らの方へ、思いっきり池の水を飛び散らす。
逃げ惑う僕ら。
こんなめちゃくちゃな送り出しは、彼だからこそやれたので、普通のキャストの退職では絶対やらない(できないけど)。
いかに彼がみんなから慕われていたかを表している。
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最後に、別れの挨拶があった。
降り場の、腰かけられる岩のベンチに立ち、別れの挨拶をするタカオさん。
これからはみんなでスプラッシュを盛り上げて行ってください、といい話をしている最中に、背後から忍び寄った連中から、ラストにもう一杯バケツの水が炸裂。
おまけに誰が用意したのか小麦粉をぶっかけて今度は真っ白。もうめちゃくちゃである。笑いが止まらない。
思えば、アトラクションでの退職送別イベント? は、あの時が最高に悪ノリしていたし、あれ以上盛り上がった時はなかったと思う。
あの後ボート内は異常に水浸しだわ、降り場も白い粉の跡がべっとり。
後日、リード達は他部署から相当お叱りを受けたそうで、それ以降、水かけは全面禁止になってしまった……。
その時の写真があるけど流石にお見せできません。なぜならタカオさんがコスチュームのスラックスを脱いでパンツ一丁になっているから(笑)。
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彼がいなくなり、空っぽになってしまったような気分だった。
それでも明日は来るし、キャストは誰もが、いつか辞める日が訪れる。
次の日からは残った人達で続けていくわけで、そういうものだと割り切るしかない。
翌日、僕は出勤すると、いつも通りにボートは動いているし運営は通常通り行われている。普段の日常がそこにあった。
その日以降、スプラッシュのキャストレベルが明らかに落ちたような感覚にとらわれた。全体を一貫して流れていた規範がかき消えて、自然に落ちていくような感覚から逃れることができなかった。
僕の失望と苦悩が、この日を基点にして、何年も続くことになるのである。
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まあ、それは置いておいて。
スプラッシュマウンテンの後輩たちよ、あの池に飛び込んだ君たちの先輩が、少なくとも3人はいるんだ。
でも、これは内緒だぜ。