年末年始のクライマックスはカウントダウンパレード【蒸気船マークトウェイン号012】

10 min
舞浜戦記マーク012
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めっちゃ長いよ。

今回は、年末年始の恒例行事、カウントダウンパレードについて。

スプラッシュマウンテンのエピソードを語る前に、マークトウェイン号の話をしておきたい。
なぜなら、マークトウェイン号の時とスプラッシュ1年目の年末年始で、僕は全く違う勤務をしていたからだ。

え、蒸気船とスプラッシュじゃ違うのは当たり前だって?
いや、違うというのは、あらゆる意味でだ。
それをこれから説明しよう。

僕はキャストの仕事を、パズルを解くような面白さを感じていたことがたびたびある。
複雑であればあるほどハマってしまう。今必要なピースはどれだ、そのピースはどこにあるか、どの角度で置けばピタッとはまるか。
スピードも重要だ。丁寧なのは結構だが、のんびりやって完成するのは当たり前。制限時間のある中でベストを尽くす。

その、ジグソーパズルを感じさせる要素の一つが、「ゲストコントロール」であり、その最たるものがパレードのコントロールである。
普通、アトラクションキャストは、パレードの仕事は手伝いに行く、ヘルプ要員だ。その究極のお手伝いが、これからお話するカウントダウンパレードのヘルプである。

マークトウェイン号での勤務中、確か11月終わりから12月にかけて、A4用紙をざっくり二分割した用紙を渡された。
アベラビリティー・アンケート」と書いてある。
何だこれ。
「年末年始の勤務希望だよ。フリーって書いとけばいいから」
と、ニヤけるリードのF原さん。

12月27日頃から1月3日までの日付が入っていて、それぞれに記入欄がある。ここに、各日の自分の希望シフトを記入する用紙だ。

この手の申請は、希望どおりになることは絶対にない(笑)。希望と言う名の強制である。つまり全ての日をフリーで(好きに入れて下さい)というわけだ。全項目をフリーと入れればいい、というわけ。

もちろん希望を書き込むこと自体は可能だが……よっぽどの理由がない限り希望どおりにはならない。大晦日は紅白を見たい、などというワガママは通用しないのだ。
僕は年末恒例のイベントやテレビ番組には興味がないので、文字通りフリーで構わなかったのだが。
用紙の一番下に、その他備考欄があった。

「CD希望って書いとくといいよ」

と、誰かが教えてくれた。土日キャストのコヤマ君だったかな。
「CDって何ですか?」
と僕が聞くと、

カウントダウンだよ」
と教えてくれた。

カウントダウン?
僕はまるで知らなかった。これが一年を通じて最もエキサイティングなイベントであり、と同時に非常に重要な職務であることを。

あと、年末31日〜1月3日までの勤務は、時給が750円アップするので、それも魅力的だったな。

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年末年始勤務の目玉は、カウントダウン・シフト

この年、1991〜1992年の年越し特別営業日は、まだ「カウントダウンパーティー形式」になる前の時代だ。大晦日に入園したゲストはそのまま居残ることができ、新年明けて元旦の夜22時までパーク内で過ごせる時代だった。

やがてディズニーのテーマパークでの年越しが大人気になると、大晦日は入れ替え制になり、特別なチケットを購入した方のみが18時半頃から入場できる方式になった。

12月上旬に、リードから年末年始のスケジュールの発表があった。僕に与えられたのは、カウントダウンというシフトだった。

「あ、一緒だ。カウントダウンだね」
と、トレーナーのカンちゃん。

「やっぱマークはRCですかね」
別の土日キャストも言う。

勤務時間は、11時〜25時。な、長い……。
同じシフトに入っている先輩達が何人もいて、一緒にやるので心配はいらないと言われた。

僕が初期の頃にいつもやらかしていたことの一つに、「肝心な時に喉を痛める」というのがあり。風邪を引いて声が出なくなることがたびたび起こった。
あろうことか、この年のクリスマス頃にも風邪を引いてしまったのだ。いったん喉を痛めると、最低でも1週間、大体10日くらいは声が元に戻らない。

そう、肝心の大晦日には間に合わなかったのだ。
この当日も、ガラガラ声でゲスコンをするはめになる。声の出ないキャストなど、ぶっちゃけ存在価値なしである。

この時だけではない、この後重要なイベント時に限って風邪をひく、という失態を何度も繰り返すことになるのだ。

大晦日はいい意味で異様な雰囲気に包まれていた

そして当日。

昼間は普段と変わらない勤務につく。さすがに大晦日は園内もガラガラだ。
だが夕方になると、少しずつ変化が訪れる。
何となく浮足立ったような空気が流れている。ゲストもキャストも今日が特別な日だと知っているからだ。

僕らマークのキャストは20時半までに食事休憩を回し、その後深夜組が出勤して来てから全員ポジションを抜けた。そして小休憩を挟み、パレードの集合場所へ向かう。
すでにカウントダウンパレード要員はほぼ集合しており、総勢100名を超える大所帯になっていた。アドベンチャー・ウエスタンのコスチュームが勢揃い。いつものパレードの何倍もの人数だ。

パーク内のあちらこちらにこの日専用の照明が増設されている。BGMもいつもの音楽ではない、この日だけの特別バージョンの曲が流れている。

僕らキャストもゲストも「その時」へ向けて期待感が充満している。
誰もがクライマックスの瞬間に期待を寄せて待ちわびているのだ。

僕らがパレードルートに出ていくと、最前列の位置にシートを敷いて待機する人々がちらほらいて、ルートを自然と形作っている。
早い人は朝から来園し、仲間内で交替でビニールシートに座って待つのだ。大晦日は気温も低く冷え込みはきつい。たかがパレードとは言え、みんな真剣勝負だ。

ウエスタンランド周辺は、18時頃はまだ最前列も場所取りのシートが点在する程度で、隙間がたくさんあった。シンデレラ城前のプラザはもう腰を下ろす隙間もないはずだ。

僕らマークからの数名は、事前にどのポジションを担当するか指定されていた。
クロスオーバー(横断用通路)

ちょうど船着場の正面から汽車の高架を抜けた辺りの、広い場所にある横断用通路だ。
やっぱりマークはRC(通路の名称)だね、と誰かが言った。毎年恒例で担当する、馴染みのポジションらしい。

まだ横断用通路はほとんど機能していなかった。なぜなら、パレードルート上の場所取りは進んでおらず、敷かれたシートはまばら。隙間を通れば容易に反対側へ横断できたからだ。

21時、まだ最前列が埋まった程度のパレードルート

パレードはどれも所要時間が20〜30分かかる。先頭から最後尾が通過するまで反対側へ行き来できなくなるため、途中何ヶ所か横断用通路を設けている。
ただし常に渡れるわけでなく、パレードのフロートが停止中のみ横断可能。通路が開いた時は渡れる案内をし、閉じたら次のタイミングまで待つよう案内する。

平日のパレードならわけもない。だが、これが混雑時となると地獄と化すのだ。
カウントダウンパレードは毎年一回限りの特別イベントであり、この日この時しか見ることができない。この日に入園したゲストはほぼ全員が見に来るわけで、人が集中するのは当然だ。

ただし、この時代はまだカウントダウンパレード自体の人気は過熱しておらず、年越しの瞬間になってもパレードルートへ来ない人も結構いた。
むしろ年越しの瞬間はアトラクションで過ごしたいとばかりに、ガラガラのアトラクションに乗りに来る人も少なくなかった。

僕らマーク組が担当するクロスオーバーは、まだ建設途中のクリッターカントリー入口に板壁が設置されていた、そのすぐ脇に作られた。クリッターカントリー建設中の壁があったために、斜めに変形した通路になっていた。

今だと、クリッターカントリーの入口、スプラッシュのファストパス発券所から下ったあたりから、向かい側のピーターパン空の旅までの部分に当たる。
斜めに横断するので渡る距離が長い。横断に時間がかかるということは、コントロールの難易度が上がったことを意味する。
僕はウエスタンランド側の通路入口付近を担当することになった。しかし、何が困難なのかすら知らずに、ただそこに突っ立っていただけだ。

パレードルート最前列はほぼ埋まり、2列目以降ができつつある。パーク内は、何となくお祭り騒ぎの浮かれた雰囲気で満たされている。

これから何が起こるか全く知らない僕は、きっとこのまま続くのだと漠然と考えていた。むしろ昼間のいつものパレードより簡単なんじゃないのか、と。

22時、気がつくとゲストボリュームが激増し始める

見渡す限りの周辺は、気がつくとゲストの混雑ぶりが一気に増してボリュームが出てきたのがはっきり分かった。
いつのまにか周囲がゲストだらけになっている!

クロスオーバーはこれからが本番だ。
徐々に人が集まり始めて混雑する。すでにパレードルート最前列は埋まり、その背後に2列目、3列目ができつつあった。

通路内を通らなければ反対側へ渡れなくなってきたのだ。いよいよ通路が本格的に機能し始めた。

カウントダウンパレードは、どこで見るかを入園したら早急に決めておかなければならない。繰り返すが、その時間になってからルートにやって来ても、まず見られない。本当に見られないのだ。
重ねて言う。直前になって沿道に来ても手遅れだ。

ところがゲストというものは、いつ来てもきちんと見られると思い込んでいるものであり、そんな人達が数万人規模で、ギリギリの時間に押し寄せてくる。
大混雑の中で近寄っても人垣で見られない。では別の場所に移動して見よう、と思うだろうが、そもそも行く場所がない。その時点で、スペースは限られていてルート付近は完全に人で埋まっている。つまりどんなに頑張っても見られないのだ。

それでも見たい人達はやって来るので、ルート上にいる僕らは、見られないと告知をしなければならない。

そして、混雑は限界を超えると空間が人で埋まる。誰もが身動きが取れなくなる。しかしながら、行きたい場所へ行けない、動けない事はゲストにとって相当のストレスになる。

しかし、横断用通路は絶対に潰してはならない、という大原則がある。
通路の内側が人で埋まったらパレード自体が進行できなくなるわけで、それは何としても回避しなければならない。

しかしそれ以外に、通路には、確保しなければならない明確な理由がある。

ゲストの安全確保の意味もあるが、通路は同時に緊急用避難通路でもあるからだ。緊急用車両、救急車が走行するための通路なのだ。

仮に危篤状態のゲストが発生したとする。人で道が塞がっていたら?身動きが取れなくなったら? 超混雑時に危篤状態の傷病人が発生して、救急搬送できなかったら、助かるものも助からない。だからこそ、救急車両を通す道は最低限確保しておかなければならない。
だから通路は常に確保しておくし、どんな時であっても潰すわけにはいかないのだ。
僕らクロスオーバー担当は、絶対的使命を持って通路確保に当たっているというわけだ。

23時、混雑はピークに、そしてパレードがスタート

この時点で、人の流れはますます活発になり移動量も激増していた。
僕らはもう休憩には行けないし、この場を離れる余裕もなくなっていた。もし僕らが離れたら、ここは通路として機能しなくなるだろう。

年明けまであと1時間を切った。
この頃になると、かなり圧をかけて案内を続けないとゲストの流れが鈍くなってしまうくらい、通行量が活発化していた。

もうすぐパレードの始まる予感が、ゲスト達のそわそわした行動から推し量ることができた。園内放送でまもなく開始しますとさかんに伝えていたし、時間も時間だ、音楽も音量が上がっている。

それまでパレードルート内側の広い道は自由に通行可能だったが、やがて内側を抜けての通行が制限された。
これにより大勢のゲストはパレードルートの外側しか通れなくなり、それはつまり、パレードルートのすぐ外側の道がさらに混雑し、通行しにくくなることを意味する。
すでに外側の道は、ルートに沿ってシートを敷いて待つ人と、その背後で立ち見しようとする人々、さらに外側を通り抜けようとする人々で埋め尽くされていた。
要所要所にはキャストが待機し、通行路が人で潰れないように、入念にルート確保を行っている。
ただ僕の記憶と印象では、この時代のパレードコントロール技術は後年に比べるとまだまだ甘く、潰れた通路はもう仕方ないと諦める考え方が一般的だったように思う。

とにかく、できる限りルートは維持する。通行するゲストの行く手を阻まないように「立ち止まらずにお進みいただく」よう案内を強化する。

行きたい、したいことがあるのにできない。すぐ目の前に目的の場所があってもそこへは行けないと伝えなければならない、これが極度に混雑した時の動線コントロールだ。

通路を横断したゲストは、次にどう動くか。
目的があれば真っ直ぐ向かうだろう。特に目的もなくただ進みたい人達も割と多い。この、特に目的なくと言うところがかなりやっかいなのだ。
おそらくこの時の人達は、パレードが見られるならどこでもいい、と考えている。すると自然にその辺に立ち止まる。行きたい場所がないからだ。
しかし、通路にとって一番困るのが通路出入口付近に立ち止まられることなのだ。
通路を出たすぐの場所は人が滞留しやすい。そしてたった一人でも立ち止まると、次に来た人が同様に立ち止まる。何となくそこでパレードを見られそうだから。
するとあっという間に通路は塞がってしまう。通りたい人が通れず立ち往生する。なので通路付近は絶対に立ち止まらせてはいけないのだ。
だから僕らは、必死で通路の付近を確保する。

後から後からやって来るゲストへ切れ目なく案内を続け、通路を空けたままで維持する。これがクロスオーバーの役割だ。

高い精度でコントロールするためには、ここを通るゲストの目的を想像する必要がある。
ウエスタンランドからファンタジーランドへ向かおうとしているゲストは、なぜここを通るのか。逆方向へはなぜここにやって来たのか。
彼らは似たような目的を持っているかもしれない。それなら目指す施設に関する案内をすればスムーズに進んでくれるだろう。
「ファンタジーランド、トゥモローランドへ行きたい方はこちらの通路を通り抜けましたら建物沿いに右方向へお進み下さい」
などと伝えるのだ。

その時、比較的空いているルートを案内するとよい。まあ、この時点で空いている道などまずないのだが、そこへ行きたい方へは目安になるし、行き場所のない方にも多少の効果がある。

こうしてパレード開始までの時間をやり過ごした。

そしてようやく23:35頃、スタート。

異常な空気に包まれたルートが暗くなり、音楽が変化した。
通路を間も無く閉じなければならない。ホーンテッドマンション横のパレードスタート地点から出てきたフロートは2〜3分で僕らがいる通路まで到達する。何が何でも通路を閉じないとパレードの進行が止まってしまうのだ。

ただし、ぎりぎりまでゲストを通すために閉鎖するタイミングを遅らせる。
ベストなタイミングでリーダー役のキャストが合図を両側に送り、それを確認した両側の担当者がロープを手に構え、サッとロープを閉じた。
ゲストの流れは止まり、しばらくは横断できなくなる。

パレードの先頭はすぐにやって来て、たちまち僕らのいる通路を通過して、進んでいった。

さて、ここまではいい。
問題はここからだ。
やがてパレードは各フロートが定位置まで進み、停止する。全ルートを埋め尽くした時点で停止し、年明けを迎える。

それが終わると再び動き出す。
つまりパレード停止中は、通路は開いており通行可能になる。
当然、やって来たゲスト(見る場所を確保し損ねた人々)は、どこか見られる位置はないかと必死にうろつき彷徨いながらここにたどり着いたパレード難民状態の人達だ。

そんな人達が通路のど真ん中にやって来たら? ここ、凄く見やすいよね、と思うのは当然である。

しかし、ここは見る場所ではない、通路だ。ここで見てもらうわけにはいかない。通路は速やかに通り抜けてもらわねばならないのだ。そこで立ち止まる人々を何とか通過させる事に集中しなければならない。僕らは全神経をここに集中させる。
これから年明けを迎え、再び動き出すまでは、ここをキープしなければならない。

大音響のBGMに乗ってフロートが進む。
23:50。
この後、パレードは全ルートがフロートで埋まる。通常の昼夜のパレードの約3倍の数のフロートが登場するのだ。

そろそろ全フロートが出揃って全体が停止する頃だ。完全停止したら、通路が再び開放される。
通路入口付近では、横断したいゲストを集めて入口の左側に待機させている。数十名のさまよう人達が、渡れる時を待っている。

巨大なフロートが停止し、通路を開放するサインが出され、ロープを開け放つ。僕は一斉に反対側へ流れていく人の波を眺める。
もうすぐ年明けだ。

反対側のファンタジーランドから渡って来たゲストは、進める道が一本しかなく、通路を渡りきったらいったんマークトウェイン号乗り場前まで行き、ビッグサンダー・マウンテン方向へ曲がりくねり、カントリーベアシアターまで行かされる。これ以外の道は全て人で埋まっているので通れない。
その道に一定間隔でキャストが控えているので他の道を進むことはできません、と告知を続ける。
逆のルートもまたしかり、決まった道しか辿れないようになっている。その道以外は全て人で埋まっている。

先ほどウエスタンランド方向へ向かったゲストが、またこちらへ戻ってくる。
「あっちに行っても全然見る場所ないんだけど」
「そうですね、今はどこへ行ってもこの状態です」
などと、ゲストへ案内するしかない。
今さらファンタジーランドへ戻っても同じ状態だろう。もうベストの観覧場所は、ない。

そうこうするうちに、蛍の光が流れてきた。いよいよカウントダウンの始まりだ。
20から一つずつカウントダウンしていき……

この後、年が明けてからすぐにパレードは進行する。通路は閉じなければ。それに向けて閉鎖準備をする。

10、9、8……

キャストの誰かが一緒に数を数えているのが聞こえた。

ちなみに僕が立っているウエスタンランド側の通路出口は、ちょうど今のクリッターカントリーの入口付近にあたり、高い茶色の板壁が立ちはだかっていた。その壁のすぐ横に通路が設置されていたのだ。
僕は壁のかなり近い位置に立ってパレードルート方向を見ながら、通路内のゲストの動きとパレードとを同時に観察している。

0。

一瞬早く、背後から花火が打ち上がった。
マークトウェイン号とスプラッシュ方向の夜空に、真っ白の花火の尾が何十本も壁のように打ち上がる。
周囲が真昼のように明るく白い光に染まった。
その場にいたゲストもキャストも一緒になって見とれていた。

と、見とれている場合じゃない。
年明け3分後にはパレードは動き出す。それに合わせて通路は閉鎖するのだ。
僕らは急ぎ目に、両側をクローズし、ゲストの流れをせき止めた。

立ち去る時のパレードは速い。あっという間に最後尾が見えてきた。通路はここで撤収。慌てて機材を片付ける。ロープもすでに取り外しており片付けは完了していた。
パレードの最後尾が去っていき、ゲストもそれについて行こうとする。
僕らクロスオーバーのキャストはいったん最後尾についていき、途中で壁を作る要員になる。20名ほどのキャストが壁を作り、ついてくるゲストをアドベンチャーランド方向へ進むよう案内し進行方向をブロックする。

年は明け、カウントダウンパレードは終了した。

と、ここまでで僕の体験したカウントダウンパレードの、文字で説明できるうちの6割くらいを伝えられたかなと思う。

おまけ:始発までインパーク&ごろ寝で時間を潰す


勤務自体は25時に終了したのだが、帰りの電車は動いていないため帰れない。
この頃は、僕が使っていたJR線は、まだ終夜運転していなかった。

そこで、カンちゃんとナカさんと共に、年パスを使って入園することにした。ちょっとだけ待って午前二時になると年パスが入場可能になる。

入って早々、お腹が空いたので食事でもしようとなり、今はなきアイスクリームパーラーというレストランに入ることにした。
寒い。
勤務中はほとんど寒さを感じていなかったが、この時間になるとさすがに冷え込みがきつい。しかもレストランは待ち時間が発生していた。約1時間弱、店の外で並んで待機。

午前3時のエレクトリカルパレードが始まった。ちょっと離れた場所をパレードが通行している。
付近で罵り合いが聞こえてくる。

喧嘩だ。
30代くらいの男性二人がにらみ合い声を上げている。

見物していると、セキュリティキャストが10名以上集まってきて、遠巻きに周囲を取り囲み始めた。コスチューム姿と私服のセキュリティが、面白そうな表情で見守っているのが見ていて愉快だった。

レストランで何を食べたか全然記憶にない。
それからアトラクションに行くわけでもなく、少しだけ滞在して、まだ時間に余裕があったので、退園し、再び従業員用ゲートをくぐる。

「まだ始発まで時間があるね」
「こういう時はあそこで寝よう」

この二人の考えることは、実に突拍子もない。

トレセンなら開いてるよ」
「そうだね、行こうか」

トレセンとは、当時存在したトレーニングセンターのことで、ちょっとした研修をするプレハブの建物だ。ウエスタンリバー鉄道の車庫の隣にあったのだが、その後温室に建て替えられてしまった。
そのトレセンの中に長椅子があった。そこにごろ寝しようというのだ。

午前5時。
僕らはトレセンに入る。入口の鍵は開いていた。
二階に置かれた長椅子にごろんと横になり、ちょっとだけ居眠りした。
カウントダウン勤務のキャストは、元旦は休み。なので寝過ごしても平気だ。

で、6時を過ぎた頃むっくりと起き出して、僕らは帰宅した。

そう。思えばこの時の体験から、僕のカウントダウン愛が始まった。
できるなら、毎年でも参加したいと思うようになったのだ。

最近の年末年始のTDRは、カウントダウンパレードをやらなくなってしまいましたね。
ちょっと寂しいが、今回書いたように、当日来園したゲストにとってよりよいサービスを提供するという意味では、あった方が絶対いいと言い切れないのが率直な感想。

極度の混雑状態で、見られる人と見られない人で満足度に大きな差が出てしまう。それを考えた時、カウントダウンパレードを廃止したのは実に英断だったと思う。

結局僕は現役中に合計3回くらいカウントダウンに参加したが、この年ほどに盛り上がった回はとうとう訪れなかった。残念。

しかしそれは、カウントダウンの仕事がつまらなくなったというよりも、むしろ他にもっと面白い勤務があることを知ったからだ。
そっちの方が遥かに奥深くやりがいがあって難しく、そしてめちゃくちゃ楽しいのだ。

その話は後の機会に譲るとして、まずは次回で、最初にスプラッシュの年末年始の勤務に入った時の話をしよう。

ここまで読んでくれて、素直に感謝します。
ありがとうございます。

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あっくんさん

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元TDLにてアトラクションキャスト勤務を経験した十数年間を回想する場。このブログはそんな僕の、やすらぎの郷でございます(笑)。

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