僕が当時のことをメモに記しておいたのは以前にも触れたが、時々自分の記憶と乖離している箇所があって首をひねることがしばしばある。
今回のエピソードの日付、1992年12月31日の2日前、12月29日のメモには、「マイケル(・ジャクソン)が来る(予定だったが来なかった)」とある。
だがマイケルが来る予定だった日は、てっきりオープン後1年くらい経過してからだったと思い込んでいた。
調べてみると、マイケルは確かに1992年12月にデンジャラス・ワールド・ツアーで来日していたようだ。やっぱりメモの方が正しかった。
こういう時、最も事実に近付ける方法は、まず記憶のみで一通り書いていき、その後メモ等の資料を読み込んで相違点を見つけて修正をかけていく。
なおメモは勤務終了後、帰宅してからすぐ書いていたので内容は新鮮な記憶のうちに書き記したものだ。
いずれにせよ、昔話は慎重に書かなければ。
目次
スプラッシュ初の年末年始は深夜勤務でガッカリ
去年があって、そして今年。
再び年末年始がやってきた。
スプラッシュでの初めての年末年始のシフトが発表される前、僕は相当ふてくされていた。なぜなら、念願のカウントダウン要員は、スプラッシュからは出さない方針だったからだ。
それも仕方ない。人員が不足していて自アトラクションの穴を埋められない事態に陥っていたからだ。
以前にも書いたが、オープンして以来ゲストからの苦情を毎日のように受けていた僕らは、予想以上の速さで仲間達が去っていった。
不安定なシステムに振り回されて謝る日々を繰り返していれば、もう思い残すこともないだろう。退職者がみるみる増えていったのも頷ける。
1992年の年末年始、スプラッシュ・マウンテン最大の危機は、代わりになる人材がいなかった、という点に尽きる。
普通のアトラクションでは、経験者が他のアトラクションに異動して勤務していることが少なくない。だから一時的に人が不足しても、一日だけ特別に入ってよ、と頼み込んで不足分を埋めることが十分に可能だ。
しかしスプラッシュは始まったばかり。他のアトラクションにスプラッシュの勤務へ入れる人は皆無。そしてすぐさま新規でトレーニングを行う余裕はない。
まだ僕らオープニングキャストしか、人手不足を埋める人材がいなかったのだ。
自分たちの不足分は、自分たちで埋めるしかない。余裕が一切ないのに、他の仕事(カウントダウンパレード等)へ人を回せるはずがない、というわけ。
★
今年は超つまんないな。
カウントダウン勤務は絶望的だし、となると早番2日連続か、深夜勤務か、元旦の遅番しかない。どのシフトになったとしても、年末年始とは無縁の、いつもの勤務と何ら変わりのない、普通の勤務である。
そして、お約束の半強制フリーで出したアンケートにより決定、発表された僕のシフトは、
「20時〜33時15分」
ミッドナイト。
なんてこった……。
アトラクションは基本、大晦日の夜は止まらず稼働し続ける。丸2日間運営が継続するのだ。大晦日と元旦の間を埋めるための、深夜勤務。
夜通し勤務するなど想像もしていなかったので愕然。
リードにもちょっと不満を言った。俺、深夜勤務なんてできませんよ、と。
年末年始のスケジュールはスケジューラーではなくリードが決めるので、文句があるならリードへ言うしかない。だが、
「何とかなるよ」
の一言で終わり。取りつく島もない。
この結果に、やる気もあったものではない。これなら何をやっても同じだ。いやむしろ普通の勤務の方がよかったのでは?
12月に入ったばかりなのに、もう今年は終わったと思っていた。
★
それより少し前のこと。
リードたちが何やら企んでいるのを小耳に挟んだ。予備室を使って何かやろう、というのだ。
当時スプラッシュの建物内には、使用していない部屋があった。広さは畳敷きで12〜13畳くらいか、そんなに広くはないが、何かに使えそうな部屋だ。
しかもブレイクエリア(休憩所)の隣にあり、とても使いやすい場所にある。
この部屋を予備室と呼んでいた。
宴会がいいんじゃない、と誰かの発言によりあっさり決定。
で、リードが、
「みんな各自食べ物を持って来て。一人一品」
宴会の参加条件は、何でもいいから一品持ってくることだった。
何だか面白いことになって来たぞ。
迎えた当日。
僕は確かお菓子か何かをまとめて買って持参した。
大晦日〜元旦は、ダウンと眠気と花火
当日、深夜シフトで20時出勤なので、夕方には家を出た。年の瀬も押し迫った夜、家を出て舞浜に向かうのは不思議な感じだ。
電車内にはこれからディズニーランドへ向かうであろう人々が乗っていた。彼らはこれから遊びに行く期待感を携えて。一方僕は、今夜の勤務をきちんとできるかとちょっと心配になりながら、電車に揺られる。
深夜シフト勤務のみんなも、各々が妙に高いテンションで出勤して来ていた。
ある者は寒さ対策でカイロを用意し、全身に貼り付けていた。コスチュームのジャケット内側に何枚もセーターを着込んでいたり。
またある者は眠気覚ましにサロメチールを持参し、眠くなったら目元に塗れとみんなが使えるようにコンソール上に用意するというサービス精神を発揮。
出勤時はシャトルバスに乗ってクリッターカントリーの裏側まで行く。
同じバスに乗り合わせた中の一人が、
「今日も止まるんじゃない?」
とふと口をついて出た言葉が、見事に的中。
僕らがバスを降り、裏側からスプラッシュの建物に入っていき、途中で降り場を通ると、ちょうどゲストがぞろぞろと出口から退出しているところだった。本当にダウンしている最中だったのでびっくり、声も出ない。
何というか、スプラッシュらしい年末年始だ。
僕が当時書き残したメモによると、この日は一度夕方に止まり、アップしてから再び夜にダウンしたようだ。
★
正式オープン前から、僕らは乗船効率を高めるよう指示を受けていたのは以前説明した。
あれから約3ヶ月。僕らは日々創意工夫を重ねていた。その甲斐あって、年末にさしかかる頃には何と、ボート60台運営が可能なまでに高速化していたのだ。
この日も特別営業だとばかりに60台で行くぞ、とリードから伝えられていた。
当然僕らは奮起して何が何でも回してやるぞと意気込んでいたし、実際かなりハードな時間が続いた。人数は少ないわ、運営ハードルは上がるわで、僕らはいつの間にか、相当鍛え上げられていたようだ。
勤務が始まった。
ローテーションを回りポジションをこなす僕らにとって、この日の最大の関心事は、年越しの瞬間にどこにいるか、だ。
早速ポジションについて、まだ運営停止中のからっぽの乗り場で待機する。
復旧を待つ間、自分がどこのポジションで年明けを迎えるか、計算してみる。
「あー、私アンロード(降り場)だ。まあいいか」
とがっくりする人。
「チケット(ポジション)で年明けはしたくないよね」
みんなうなずく。
スプラッシュのポジションは館内にせよ屋外にせよ、数名のキャストが近い場所に固まっている。ただし、一人だけポツンと単独で配置されている場所もある。年明けのイベントを見られないどころか、かなり悲惨である。
当初の予定だと、僕は中のポジションになりそうだった。
ところがダウンしていたおかげでローテーションにズレが生じ、どうやらちょうど休憩に入る時間帯になりそうだ。
これはラッキーじゃないか! あとはトラブルなく順調に進むことを期待するのみだ。
★
ローテーションを押し出されて、年明けぎりぎり直前に休憩に出ることができた。
23:58。
建屋入口の脇の階段を駆け上がり、その場で待つ。こんな時間でも、列はエントランスから伸びていたのを覚えているので、並んでいたゲストがけっこういた。
年明けの瞬間に花火が打ち上がり、スプラッシュの裏手のバックステージからナイアガラ状に打ち上がる。
昨年と同様、派手な花火は2分ほどあたりを真昼に染める。
この年のカウントダウンイベントは、アメリカ河でもマークトウェイン号といかだを使ったショーを行っていた。いかだからサーチライトが夜空をぐりぐり照らし上げ、トムソーヤ島からも花火がじゃんじゃん吹き上がる。
本来カウントダウンイベントは、ワールドバザールからシンデレラ城を見た位置がベストのビューポイントであり、そこから大きく外れたウエスタンランドなどは見捨てられたエリアだった(笑)。
なのにアメリカ河周辺が賑やかだったのが間近で見られたので、逆に面白かったのだ。
むしろ、カウントダウンに参加するよりよかったということか?
一緒に休憩になったガンちゃん(♂)と盛り上がったな。
花火の打ち上げ場が従業員用駐車場にあり、クリッターカントリーの背後から打ち上がったように見える、なかなかいい位置なのだ。
うん、今年の年末年始もなかなか悪くないじゃないか。
深夜勤務の楽しみの一つ、スプラッシュ年越し宴会
深夜を超えて、朝まであと数時間。
予備室に行ってみると、大鍋が用意されていた。
カセットコンロと巨大な鍋が2つ。年越しそばと雑煮の鍋で、材料も食材別にビニール袋に詰めて持ち込んでいたのだ。簡単に下ごしらえした肉や野菜を大量に用意し、室内でまな板と包丁を使って調理する。
勤務中もずっと鍋番がついて、中身が減ったら食材を継ぎ足し継ぎ足しして、明け方近くまで持たせるという親切ぶり。
僕ら深夜組が食事休憩に行く時は、食堂へ行かずにここで鍋にありつくことができた。
鍋以外にもユニークな食べ物が持ち込まれていて、手作りの稲荷寿司やサンドイッチ、煮物、東京駅で買ってきたという菓子折りの数々。長テーブルを2つ並べた大きなテーブル上は、様々な食べ物が溢れんばかりに陳列されていた。
何でも好きなものが食べ放題。
紙皿と割り箸と紙コップが飛び交い、みんな好き勝手にいろんな包みを開けては中身のごちそうに驚きの声を上げる。ローテーションを回る深夜組以外にも、早番の勤務が終了してしばらく帰宅せずに宴会に参加する人も。
深夜1時。
深夜のローテーションで、食事休憩が回り始めた。僕らも順番に予備室へやって来ては山盛りのメニューの中から珍しそうな品を発掘してはみんなでいただく。
この宴会のことを聞きつけたSV達が、カウントダウン勤務を終了し、次々と顔を出した。
おっこれはうまそうだなと、雑煮の鍋を覗き込む。せっかくだからどうぞ、と紙のお椀と割り箸を渡すと、美味しそうに雑煮を頬張るSVのMさん。
カウントダウン勤務が終わった時間になると、他のアトラクションの人達もどこで聞きつけたのかやって来る。普段はほとんど交流のないファンタジーランドの人達もいた。いつのまにか多種多様なキャストが入り混じり、室内は人であふれ返る。とても不思議な、和んだ時間が過ぎていった。
食事休憩中は、その和んだ雰囲気の部屋の中で、新年初の食事を楽しんでいた。
その後も、小休憩が回ってくるたびに(ブレイクエリアへ行く途中にある部屋なのでちょうどいい)入っていってはつまみ食いして、戻っていく。
途中、某リードが顔を赤くして予備室から戻ってきて、みんなから指摘されていた。なんか酒臭くありません?
「違う違う。寒いから赤くなってんの」
真偽の程は不明である。
翌年以降もこの宴会は毎年の恒例行事となり、少なくとも僕が退職するまでの間は、ほぼ毎年、形を変えて行われることになる。
年始の夜明け前の屋内は、難民キャンプ状態
この時間になると、特別営業時間帯にだけ発生するゲストの特異な行動の1つが見られるようになる。
それは、「ざこ寝」である。
元旦の深夜は寒い。そしてゲストの体力もそろそろ尽きかけている。かと言って帰るわけにもいかない(帰りたくない)。
そこで、入園者は空いている場所で寝る。
これを初めて見た時はびっくりした。床という床にみんなそのまま寝ているのだ。
前年、僕がカウントダウン勤務が終了した後でインパークした話を書いたが、あの時ついでに、メインストリートハウス(総合案内所)を覗いてみたのだった。
すると、案内所の床一面にゲストがざこ寝しているではないか(笑)!
大げさでなく、床一面、足の踏み場もないほど人間が倒れている、いや寝転がっている! まるで難民キャンプ?状態である。
ご丁寧に、毛布を持参してくるまって寝ているので、これはあらかじめ予定された行動ということなのだろう。年末年始をパークで過ごすために、最初から床で寝ることを想定して毛布を持参したわけだ。
まるで集団心中か、大量虐殺された戦場のようだ。
これは他に行き場もなく休憩できる場所もないため、空いているところで構わないから寝て過ごそうという、この時間帯特有のゲストの行動なのだ。
ホテルを予約しているわけでもなく一時的に退園もせずパーク内に残って朝になるのを待つという、考えれば実に合理的な行動というわけ。
この現象が、スプラッシュの出口通路でも発生した。
さして広くもない出口通路の床にも、寝転がるゲストが現れたのだ。
しかしこの通路が塞がるとアトラクション的には非常にまずい。
出口から乗り終わったゲストが通れなくなると、後から出て来る人達が通れず通路がふさがってしまう。すると、降り場でボートから下船ができなくなり、最終的にはアトラクションが止まってしまうのだ。
なので、この通路に寝転がっている方々には移動していただかないといけない。
そこで、ゲスコンの1ポジションは通路の監視をする役割が与えられた。休憩に行く直前のポジションとして通路を歩き、通路から張り出して寝ている方へ声をかけていく。ただ、全員追い出すわけではなく、主に通路中央に張り出している方に対して声をかける。
外は、無碍に出ていただくのも申し訳ないほど冷え込んでいた。
★
深夜も深まり、小休憩のたびに予備室へ行くと、徐々に食べ物は減っていった。カウントダウン勤務の人達は帰宅したらしく人も少なくなっている。
鍋もスープが減って、食材の追加はせずに自然減を待つ。2つあった鍋は1つ片付けられ、宴会は終わりに近づいていた。
ローテーションを回って回って、とうとう同じポジションが3度回って来た。さすがに飽きて来るし、眠気もかなり蓄積されて動きが鈍くなっている気がする。
もう少しで夜明けだ。
僕が屋外に出て来たのが午前5時台で、こんな時間にも関わらず待ち時間は65〜75分を推移していた。
最後尾に移動すると、列はクリッターカントリーを超えてウエスタンランドの真ん中まで伸び、そして東の空が白んで来た。
待ち時間を告げる合間に、
「あっけましておめでとーうございまあーす!」
と言えるのもこの日くらいなものだ。
我々キャストもだが、ゲストだって異様なテンションでやって来る。みんな喜んで並びに来るのだ、こっちだって大ノリになるわけで。
「もうすぐ初日の出ですねーーー」
とか、
「新年一発目はスプラッシュまうんてんっでぇーどうぞぉ!」
とか、普段は出ないスピールが口をついて出る。
空が明るくなってきて、周囲の夜間用照明の存在感が薄まる。夜間のゲスコンはコーンライト(携帯用ライト)を携帯し、随時振り回していたが、もう必要がなくなったようだ。スイッチを切り、尻のポケットに突っ込む。
残念ながら初日の出の直前で、僕は中のポジションへ移った。
待ち時間は日の出と共にさらに上昇し、90分を超えてやがて3桁へ増加した。
ようやく特別な1日が終わりに近づいていた。
早番のキャスト達が出勤して来たのだ。昨日12時間勤務を終えて、生気のない早番の連中が、げんなりした顔でやって来た。ぞろぞろと出勤してきた彼らのテンションの低さに、思わず笑ってしまう。
僕ら深夜組はちょっとだけ残業して、その日の勤務を終えた。
なんだ、けっこう面白いじゃないか、深夜シフトも。
現金なものだな、僕も。