目次
非喫煙者の僕がライターを携帯していた理由
スプラッシュのコスチュームは、襟付きの格子柄のシャツ、ベスト、麦わら帽子、デニムのスラックス、革製のベルト、そしてブーツ(のちに革靴に変更された)。
これが基本アイテムだ。
加えて春〜秋にはコーデュロイのジャケット、冬期はウインターコートが貸与される。
この基本アイテムだと使えるポケットは、ベストに内側一つ、外側一つ。スラックスは前に二つ(ジーンズにあるような小型のポケットもあったと思う)、後ろに二つ。
ポケットには私物の財布とかハンカチくらいは入れていたが、他に勤務で使うものとして、
・ガイドマップ(ブック)
・Today’s Information(イベントのスケジュールが記載された冊子)
・メモ帳
・ボールペン
・マグライト(腰にホルダーで携帯)
などが入れてある。
マグライトは腰に専用のホルダーをつけて携帯していた。スプラッシュは館内が薄暗いため、何か探しものをする時に、絶対必要になる。
これは、自分で購入したものだ。もちろん強制ではないので、別に持たなくても仕事はできる。
薄暗い通路の中で、ゲストはよく物を落とす。
そんな時、とっさにサッとライトを取り出して探してあげると喜ばれます。
アトラクションとしての備品で大きめのマグライトを常備しているけど、それを取ってきてから探すより、今すぐ取り出して探せる方が、利便性は高い。
ライトは乾電池を使うので、電池切れするたびに交換していた。
電球も切れるため、予備が必要だ。マグライトは、電池を入れる部分のフタの中、マイナスの電極のバネを外した位置に電球が一つ、予備で入っている。一回交換するとすぐ予備を仕込んでおいた。
そして、これも。
・100円ライター
ちなみに、僕はタバコは吸わない。
では、なぜライターを持っていたのか。
★
スプラッシュ・マウンテンの列は長い。
キューエリア(列を収容するスペース)の全区画が設置されると、クリッターカントリーだけでは収まらず、ウエスタンランドへはみ出してしまう。パレードルートのすぐ脇を埋め尽くし、マークトウェイン号乗り場前の区画を借りて設置したスプラッシュのキューエリアは、待ち時間でいうと約120分に相当するゲストを収容していた。
キューエリアのために200本を超える柱を立て、数十本のロープを張り、中にゲストを誘導する。
細長いクリッターカントリーのかなりの面積を塞ぎ、延々と連なる折りたたまれた列を観察する。正常に列が進んでいるかを把握するのもゲスコンの役目の一つだ。
ある時、規則正しく並んだ列が乱れているのを見つけた。
列の中で何かが起きている。
近づいてみると、内側のロープがだらんと垂れ下がっている。柱(スタンション)の金属製の金具に引っかけてあったロープが、外れてしまったようだ。おそらく子供がいたずらしてロープを外してしまったのだろう。
僕はキューエリアの中に入っていき、ロープを引っ張り、柱の金具に引っかけ直す。これで正常な状態に戻った。
ついでに、ロープの状態を観察する。
ロープの両端にはナス管が取り付けられている。ナス管に取り付けたロープがほどけそうだ。
そこで、ポケットからライターを取り出す。
ナイロン製の細い繊維が編み込まれたロープは、次第に端の部分がほつれてボサボサに広がって、ソバージュみたいな状態になる。
そこで見つけ次第、補修する。
自分のロケーション(部署)で使用する道具は、可能な限り自分たちで補修する。設備の故障は整備の方が行うが、ロープのメンテナンスは僕ら運営部の仕事だ。
編み込みがほどけた部分をハサミで切り落とし、ロープの先端をライターの炎であぶる。熱でナイロンの繊維がチリチリと溶けていく。
十分に柔らかくなったところでライターの腹を押し当てる。冷えて固まるのを待つ。
ロープの結び目が、チーズのようにくっついて固まれば完成だ。
ロープを順番に点検していくと、何箇所かほつれた結び目が見つかる。
ライターは常に持ち歩いていたわけではないが、そろそろほつれが出来た頃かな、という時に持っていると活躍する。
★
ある時、ロープが切断されるというアクシデントが発生した。
キューエリアの調整をすると、列の流れが急に早くなることがあって、どんどん人が進んでいく。自然と隙間が空いてしまうが、ロープが切れると道筋が分かりにくくなり、ゲストは正しい順路にそって進めなくなる。
遠くから見ていて、列の整然とした動きが乱れると、はっきり分かる。
異常を発見すると、列内のゲストの流れを一旦停めて、ロープを確認する。ロープは、途中から完全に切れていた。
その区画の一往復分のゲストをせき止めて空にし、急遽ロープの補修に入る。新品のロープを持って来て、その場で張り替える。金具を取り付け簡単に縛り端を焼き付け処理して数分で終了。列は再び正常に流れ始めた。
早めに気づいてよかった。
これで味をしめた僕は、うっかり調子に乗ってしまったのだ。
「それ『バッド・ショー』じゃねえか?」
別のある日。
パークが開園してから30分ほど過ぎた朝のことだ。
設置したキューエリアのロープが、微妙に切れそうになっているのを発見。
今すぐ切れるわけではないが、日中切れる可能性がある。
まだパークオープンしてから1時間以内であれば、人員的に余裕があった。
今のうちに片付けておくか。
そう思った僕は、機材を持ってきて早速ロープの張り替えを始めた。
ただしゲストの列を外に出して行うのではなく、並んでいる脇をすり抜けるようにして作業を行った。
「失礼します」
声をかけて並んでいる人の間を入っていく。元々張られているロープの上から新しいロープを重ねるように張っていき、二本目を作成したら、古いロープを外す。こうすればわざわざゲストの列を外に出さなくても交換できるので手っ取り早い。実に効率的。
その時、横の通路を通りかかったのがリードのK山さんだった。
作業が終わって列から出てきた僕を見て、彼は言った。
「それ、バッド・ショーじゃねえか?」
僕は、ハッとした。
★
キャストには行動の規範となるルールがあり、その頭文字を取って「SCSE」と呼んでいる。
S:安全性(safety)
C:礼儀正しさ(courtesy)
S:ショー(show)
E:効率(efficiency)
これは上から優先順位が高くなっている。
さらに、その中の3番目のショーを分類すると、良いものと悪いものがある。
良いものはグッド・ショー。
悪いものはバッド・ショーと呼ばれていた。
バッド・ショーを表す代表的なものとして、身なりのだらしなさが挙げられる。コスチュームの着方がだらしない。きちんと締めないといけないものが緩んでいる。ボタンを留めていない。ベルトが緩い、ネクタイが曲がっている、サイズが合っていない、などなど。
それ以外にも、施設が汚れているとか塗装が剥げているなど、見た目が悪いものも含まれる。
ディズニーのテーマパークの演出を乱すものは総じてバッド・ショーなのだ。
それらはゲストから見て印象が悪いし、テーマパークの演出を台無しにする。要するに興ざめということだ。
★
K山さんから指摘された時は、
(そんなに悪いかな? 別にゲストに迷惑かけるようなやり方はしていないのに)
と、思っていた。
「えっ、そう…ですか?」
その時は、ちょっと不満げな返答をした。
K山さんはそれ以上、何も言わなかった。
今なら分かる。
「お前、気付いていないのか?」
と言いたかったに違いない。
それに気付かないなんて、キャスト失格だぞ、と。
自分の作業に集中するあまり、周りが見えなくなっていた
その後何年もかけて、この時のことを思い返すたびに少しずつ分かってきたことがある。
僕はあの時、後々の作業効率や影響を考えれば今この場で片付けてしまう方が効率がいいと考えた。
だが本音としては、自分は一生懸命やってますよというアピールをしたかっただけなのだ。僕は自己アピールを最優先してしまった。こんなに頑張っているんだから正しい行為でしょ、というわけ。
自分はこんなに頑張ってるんだから正当化されるはずだ。一生懸命やっているなら、何でも許されると勘違いしていた。どんな仕事でもそうだが、一生懸命やることが目的になると、向かうべき方向を見誤ってしまう。
キャストの役割は、自分を満足させることじゃないよ。
ずっと後になってようやく気づいたのだ。
★
自分のスタイルを追求する。それは僕が日々心がけていたことだ。
しかし、自己満足だけで終わっていては何のためのスタイルか。
何のためにこだわるのか、意味が分からなくなる。
意味がないことなら、どんな個性もその瞬間 に価値を失う。
個性は多様性であり、だがそれには、意味がなくてはならない。
簡単に言うと、自分の個性が、ゲストにとって役に立つものでなくてはならない。
この難問を、僕は克服できるのだろうか。