スプラッシュ・マウンテンがオープンしてから半年ほど過ぎた頃だったろうか。
それはある日、突然現れた。
乗り場に、それまでなかったあるものが取り付けられているのに気付いた。
乗り場の、ボートの向こう側に、台状になった岸がある。反対岸、2台止まるボートのちょうど中間あたりの部分に、角ばって飛び出た台上の部分に、一つのランタンが設置されていたのだ。
縦長の、上に円錐形のとんがり帽子の屋根がついた、筒状の黄色い光を放つランタンだ。
運営が始まると、そのランタンは時々明かりが灯ることに気づいた。ついたり消えたりする。
あれは何ですか?とリードに聞いてみた。
「ディスパッチ・ランタンだよ」
「え、ランタンならありますけど?」
「あれと同じやつをつけてもらった。連動していて、ランタンがつけば一緒に点灯する」
「なんでそんなものを……?」
「決まってるだろ、効率を上げるためだよ」
目次
パーク内の施設は本国の許可なしに勝手に変更できない
ディズニーランドやシーを頻繁に訪れる方なら、園内のあちらこちらで一年中工事が行われているのはご存知かと思う。
ある日、一部の施設が壁やシートで覆われる。建物をすっぽり覆い、道を塞ぎ、大規模な場合は板張りの壁が延々と続く。初日はほぼ何も変化なし、壁ができただけ。2〜3日後から本格的な工事が開始されたのか、内側で何やら怪しい音が出て重機が稼働するようになる。
長いと一年以上その状態が続く。そして壁が外されると、真新しい施設が誕生する。
ほぼ同時に、パークの別の場所でまた違う工事が始まる。
テーマパークは、常時改修を行いながら運営されている。
ただし既存の施設に関しては、特別なイベントを行うとか新たなシステムを導入するとか、明白な理由がない限り改修はしない。
キャストとして勤務していると、施設のここが不便だとか使いにくい部分に気づくことが結構、ある。
この道が通りにくいから植え込みを削れば通りやすくなるのに、とか道が狭いからもっと広げてほしい、この木が邪魔で通りにくいし作業の邪魔なんだけど……などなど。
でも、そういった提案はほぼ確実に却下される。
まずキャストのための改修は、一切考慮されない。その願いはほぼ叶わない。
残念ながら、キャストの願いはさすがのウォルトも叶えてはくれない。
なぜか?
改修には予算が必要だ。オリエンタルランド社も決して予算が無限大にあるわけではないので、設備を変更するにはよほど大きなメリットがなければならない。売上が格段に増加するとか、利便性が高まるとかの理由だ。
テーマパークはとにかくお金がかかる。小さな看板一つとってみても、全部ハンドメイドで製作するため、数万〜数十万円の費用がかかる。
単に「restroom」と文字の入ったプレートとかがドアにさりげなくついているけど、あんな簡単な装飾物だって、全てアメリカ人のデザイナーがデザインし、OKが出ないと承認されないし、OKが出たら試作品を作ってチェックが入り、その上でやっと設置できる。
そんな装飾物だけで構成された広いパークだから、気の遠くなるほどの費用が注ぎ込まれているし、追加・増設するとなると半端ないほどの予算が発生する。
予算問題以外にも、施設の改修にはとてつもなく大きな、険しい壁がある。
それは、デザイン上の理由だ。
実はこれが、最も重要かつ最優先される理由だったりする。
パーク内の施設はデザイン最優先で作られている。何らかの変更を加える際は、デザイン上支障があるかないかが非常に重要になる。曲がりくねった道は通りにくいから真っすぐに作り直しましょう、なんて提案は通るはずもない。だってそれがテーマパークの「テーマ」たるゆえんだから。
たとえそれがどんなに不便でも、どんなにゲストにとって分かりにくくても。ディズニー・パークではデザインが全てに優先するのだ。
★
例外はあるけど、パーク内の施設を働く側の都合で改修するのは不可能だということは知っていた。
それなのに、このディスパッチ・ランタン追加案はあっさり通ったということに驚いた。
追加するだけなら案が通りやすかったのかもしれないけど。
効率向上は、特別予算を組んで設備追加するほどに本気だった
ディスパッチ・ランタン。
そもそも、その名称の設備は元々存在していた。
乗り場に停止したボートの後方、高い位置に小屋のような切妻造の屋根が飛び出ている。その窓が、時々光るのだ。窓の中で明かりがつく。明るさは、意識して見ないと点灯していることすら気付かないくらい控えめに、窓が光る。
(乗り場にいる時間はわずか数十秒なので、ほとんどのゲストはそこを見ないし気付かないですが)
それが点灯するのは、出発のタイミングが来た時。
以前、ボートの出発するタイミングについて触れた。
https://note.com/embed/notes/n8c48951da5cd
ここで解説した、ボート出発のタイミングである24秒が経過したことが分かるサイン。
この24秒の経過を教えてくれるのが、ディスパッチ・ランタンである。
スプラッシュは(他のアトラクションも同様だが)、限られた時間の中で乗船を済ませなければならない。手元の作業に集中している乗り場のキャストは、出発するタイミングになったことを作業中でも知ることができる。
ディスパッチ・ランタンを見れば分かるのだ。ランタンが点灯したら、いつでも出発できますよ、というサイン。
しかしその位置はとても見にくい場所にあり、首をひねらないと見えない。
慣れると視界の隅っこで光っているのに気付けるが、手元の作業やゲスト対応に夢中になっていると気づけないし、そんなに頻繁に見るようなものでもない。どうせ見なくても、自分の作業が完了するより先にランタンが点灯するから、見るだけ無駄とも言える。
逆に言えば、見にくいから普段あまり意識しない。ついその存在を忘れてしまうほど地味な設備だ。その、ディスパッチ・ランタンと連動したミニ・ランタンを取り付けたのだった。
小さなランタンは、とても見やすい位置に取り付けられた。乗り場の真ん中へんにあるので、乗り場のキャスト全員の視界に入ってくる。
いちいち首をひねる必要もない。すぐ目に入ってくる場所にあるため、いやでも気づかざるを得ない。
通常作業中のキャスト達の視野に、いやでも飛び込んでくるサブ・ランタンが、ボートはもう出発ですよ、と知らせてくる。
さあ、急げ。
もっと頑張って待ち時間を減らせ、と訴えかけるためだけのランタン。
スプラッシュマウンテンをアメリカ南部の田舎らしく演出するための小道具ではなく、キャストのお尻を引っぱたいてむち打つための設備。
これでリードたちは、今まで以上に僕らにプレッシャーをかける材料を手に入れたわけだ。
「ほら、ランタンがついてるぞ〜(今のお前たちは動きが遅いぞ、もっとスピードを上げろ!)」
と圧をかけるための。
よほどの理由がなければ施設の追加などしないこのパーク内で、効率向上のためにあえて予算を確保して実施した。効率の向上がどれほど優先課題だったかを示している。
乗り場にいてしばらく様子を見ていれば、現在の状況がどうなのかすぐ把握できる。今はゲストの乗り込みが早いか遅いか。この瞬間の進捗が体感できる。
時々リードが乗り場へやって来て、しばらく乗船状況を見ていることがちょくちょくあった。
しばらくすると、リードはさりげなくランタンを指差すのだ。
もっと速く。
もっと速く!と。
正直なところ、このランタンが設置されたことで、どれだけ効率が向上したのかはよく分からない。
しかしいくらランタンの点灯に気づいたからと言って、キャストが自分の動きを速められるわけではない。現在の遅延が視覚化されて効率化の意識付けはできたと言えるのだが……。
ただ意識するのとしないのでは明らかに差があったのは事実。むしろ意識して作業を行う癖をつけるために設置した、と言った方が正確かもしれない。この時代は、新人さんが続々と入ってきて全体のスキルが低下していた頃だったのもある。
ランタンがあろうがなかろうが、僕らはさらに効率を追い求め、駆り立てられていくことになる。