これまでは、原則的には過去にあった事実をできるだけ客観的な視点から書いたつもりだ。それでも、独りよがりに徹するしかなかった。
ここから後の時代も、やはり主観でしか語れない。
大いなる誤解を受ける恐れを承知の上で、完全に自分目線で語っていこうと思っている。
他人にとって、独りよがりな文章ほどつまらないものはない、と覚悟の上で。
目次
トレーナーとして活躍を始める彼と、何も変わっていない僕
スプラッシュ・マウンテンがオープンした翌年、1993年の最も印象的なできごとは、新人が大量に入ってきたことだ。
毎年、春になると新規採用キャストが入ってくる。春は新年度の始まりであり、この春学生になった人達や、3月で退職した人たちを採用する、ちょうどいいタイミングだからだ。
続々と退職していきシフトは埋まらず、ロングシフトが常態化していた。
人が足りないのに、トレーナーがトレーニングのために抜けるとさらに人は不足する。
しかしトレーニングを行わないと新人は入ってこない。
そんなジレンマから抜け出すためにトレーナーを増やし対応するリード達。一時トレーナーの人数が12〜13名になり、続々とトレーニングが開始された。
この春入ってきたのは確か34名で、土日も専業も同じくらいの比率だったと記憶している。
トレーニングは、トレーナーと新人さん(トレーニー)の2人1組で行動する。開始から終了まで常にペアで館内を歩き回る。館内でも屋外でも、あちらこちらで教える光景が見られた。
僕らがポジションに入っている間、毎日2、3組のトレーニング・ペアがやってきては、オペレーション(作業)中の僕らの周りを行き来していた。
彼らトレーニング組は、各ポジションにやって来ては説明を行い、少しすると作業中の僕らのところへ来て、
「代わって」
と声をかけてくる。
僕はその場から後ろに下がって、交替する。
「駄目そうならすぐ代わってもらうから」
ポジション・トレーニングは、最初にトレーナーが説明し、自分がポジションに入って見本を見せることから始まる。
少しの間やってみせて、次に新人さんにやらせてみる。
初めてやる新人さんはおっかなびっくり。おずおずと、暗闇を探るようにやってみる。
それはそうだ。中には接客もしたことのない子に、喋りと体の動作と確認する項目、注意点、作業のタイミングを一気に説明し、やらせるのだ。
体が動く子は、頭が追いつかない。
頭が回る子は、体の動作が伴わない。
どっちも得意な子は、喋りがついてこない。
全部ダメな子は、何もかもができない。
少しやらせてまずいと思ったら、トレーナーは僕に
「やっぱり代わって」
と告げ、新人さんと交替。
そしてトレーナーは、背後で説明を繰り返す。
★
K谷君はその年の2月からトレーナーに昇格し、さっそくトレーニングを開始していた。明らかに春の新人を教えるための要員としてスケジュールを組まれていた。
トレーナーになって新人さんと一緒に行動する。ローテーションを回っている僕らとは全く異なる時間軸で動いているK谷君を、ちょっと羨ましく思っていたのは事実だ。
いや、当時の僕はかなり羨ましく思っていたはずだ。なぜなら僕は、その頃のK谷君の行動をかなり気にしていたからだ。
新人さんに丁寧に作業手順を教えている彼は、めきめきと立派なキャストになっていったように、僕には映って見えた。
同時期にトレーナーになった人に、タカオさんとロミさん(もう1人いたが失念)。この2人は、移動前に元々トレーナー経験があった人たちだ。
しかしK谷君は、新規でスプラッシュに入ってきた人だ。新規採用組で、このタイミングでトレーナーになった人は、彼が初めてだった。
スプラッシュのような大型アトラクションで、一年たたずにトレーナーに上がるのは、明らかに「優秀」な人なのだ。たとえ他にふさわしい人がいなかったとしてもだ。(タイミングによって短期間で強制的に昇格させられることは少ないが、ある)
そして僕は、違った。
僕がトレーナーになれなかったことがではなく、認められなかった現状に全ての理由があった。
お前には、その能力はない。そうリード達から言われているようなものだ。
★
そんなことをつらつらと考えながら仕事をしていると、大抵ミスを起こす。集中力が欠けることがしばしばあった。
普段は乗り場などに全然姿を現さないリードが、たまに様子を見にきたりする。そう言うときに限って、ごく基本的なミスを起こし、それを見られてしまうものなのだ。
ちぇっ。
まるで、僕がいつもこんなヘマをしているかのように思われただろうな。
しかも奇遇なことに、そういうミスをした時の現場に居合わせるリードは、大抵同じ人だったりする。あの人は、僕がいつもこんなミスをやらかすと思っているんだろうな……。
こんな運の悪い巡り合わせが何度も起こったりすると、何かの呪いのようにも思えてくる。
そして僕はさらに、リード達の信頼を失っていくってわけだ。
歓迎会の風景と「星に願いを」
まだ春の新人さんが数名しか入って来ていないタイミングなのに、歓迎会が行われた。
正確には歓迎会というよりは、オープニングキャスト達でバーベキューをしましょうという、リードの粋な計らいだった。
会は、通称「アメリカ村」と呼ばれていた一軒家で行われた。いや本当は、ゲストハウスという名前があるらしいよ、と誰かが言っていた。
簡単に言うと、オリエンタルランド社が保有するレクリエーション施設だ。リードが社に使用申請してくれて、当日勤務だった僕らは、終了後に駆けつけたというわけだ。
夕方前に到着した僕らは、そこでバーベキューの準備にとりかかる。
ゲストハウスは、外見はただの一軒家だが、中は完全な洋風スタイルの間取りで、一つ一つの部屋が広々としていた。一階のリビングが20畳ほどもありそうな広さだ。側面が開放型の窓でそのまま芝生の庭へ出られて、そこにバーベキューの機材が設置された。
その日勤務についていた人、休みだった人、後から追いついてきた人たちが続々やってきて、三十人を超える人達で賑わった。
リビングにあった大型冷蔵庫にビールをじゃんじゃんしまい込み、まだ全然冷えていない缶ビールを、やってきたみんなにどんどん配っていった。
加賀谷くんは缶ビールのケースを運び、冷蔵庫からぬるいビールを取り出してみんなに渡して回っていたし、タカオさんも後からやってきて顔を赤くしていたし、ガンちゃん(♂)はいい飲みっぷりで機嫌よく騒いでいた。その他、彼や彼女や、あの人この人。
僕は僕で、庭に出て、バーベキューの生焼けに近い肉や野菜を、紙皿に遠慮なく乗せていた。
場が落ち着いてきた頃、春キャストで2番目に配属されてきた学生の女の子がバイオリンケースを抱えてやってきた。その日は平日で、授業が終わったばかりだという。
直行で駆けつけてくれた彼女は音大生で、まだ私は何もできませんが、と断った上でバイオリンを取り出し、「星に願いを」を演奏してくれた。
その美しい音色にうっとりして、聞き惚れた。
2、3分の、とても美しい独奏だった。
演奏が終わると、みんな熱狂して、歓声が上がった。
拍手の渦が巻き起こる。
まだ始まって半年の、若々しいアトラクションの未来を祝福するかのように、広い室内に響き渡り僕らを魅了した。
甘美な音色とぬるいビールに、しばし酔いしれていた。
★
たとえるならば、僕らはまだまだ出発したばかりの船員だった。
スプラッシュ・マウンテンという船が、ようやく完成して大海に乗り出したばかりの、ピカピカの状態だった。
最初の乗組員たちはどんどん船を去っていったが、代わりにフレッシュな人材、個性豊かな面々が乗り込んで来た。
そして、今後の数年間を支える主力メンバーたちが登場し、急速に成長していくことになる。
スプラッシュは長い長い旅路の、門口に差し掛かったばかりの時代だったのだ。