今回の主人公は僕ではなくリードである。
スプラッシュマウンテンが正式にスタートしてから、立ち上げに関わったオープニングリード達は早々と異動していった。
あまりにも急過ぎて、半数以上の方はろくに挨拶もできず、気がついたらいなくなっていたという感じだった。立ち上げが完了してしまえば用済みということなのだろう。
一人減り二人減り、一番最後まで残っていたのが今回の主役、ヒサシさんである。
彼の最大の特徴は、癇癪持ちであること。
いわゆる瞬間湯沸かし器なのだ。
目次
「 俺は沸点が低いんだよ」
ヒサシさんは、普段はとても物腰の柔らかい喋り方だ。だからとっても穏やかな人に見える。
のだが、何かあると突然キレる(笑)。
それは実に些細なことでもありうるし、当然大きなミスも激おこである。
怒るといっても、怒鳴りつけるのとは少々違うのが不思議なところである。
元々の喋り口がソフトでマイルドな感じなのに、言葉尻が乱暴になる。
大きく声を張り上げるわけではないのだが、明らかにキレている。
もちろん怖い(笑)。
そして癇癪持ちの人は、どこで発火するか全く予測がつかない。だから、彼の逆鱗にふれないよう努めるのは、無駄なのだ。
それを自身では沸点が低い、と表現していた。とても言い得て妙だ。
「ランチ4名」事件
ある日、僕が乗り場のコンソールポジションについていた時のことだ。
内線電話がかかってきた。僕は電話を取る。
相手はヒサシさん。
「………でお願いします」
乗り場がうるさくてよく聞こえない。
彼の声は決して小さくはないが、喋り口がとても滑らかで、騒音に包まれた乗り場では聞き取りにくい。
「……ランチ……でお願い……」
ランチ、と言っているように聞こえたが……??
ランチと言えば食事休憩のことだ。しかし時間はまだ午前11時前、ランチには少し早い。しかも乗り場に休憩の話なんかしてくる用件はない。
何のことだろう?
見当もつかない。
「はい?」
僕は聞き返す。
返ってきた言葉は、
「ラン……でお願いします」
全然聴き取れない。
「……えっと、何ですか?」
やはり、彼の声はほとんどかき消されてしまう。
「……ラン……で」
3回聞いても聴き取れない。困ったな……。
だが指示内容が分からなければ、従いようがない。
しょうがない、もう一度聞き返そう。
「えーと、何、ですか?」
「ラウンジ4名だよ!」
……怒鳴り気味にガチャ切り。
しまった、またヒサシさんを怒らせてしまった……(笑)
ラウンジとは、スポンサーラウンジ利用のゲストをエスコートしてくれ、という用件だったのだ。
まさか、ラウンジをランチと聞き違えるとは。でもその区別がつかないくらい彼の声はマイルドなのだった。
★
その後、別の日。
今度は僕がタワー(管制室)ポジションについていたときのことだ。
ヒサシさんがやって来て、内線電話をかける。
「ラウンジ2名、お願いします」
相手の返事を待つヒサシさん。
「ラウンジ、2名で」
少し間が。
「ラウンジ2名でお願いします!」
ガチャンと電話を切るヒサシさん。
「ったく!」
捨てゼリフを吐き、去っていく。
あっ、聴き取れないの、自分だけじゃなかったんだ、と謎の安心感(笑)
他のみんなもきっと、彼の声を聞き取るのに苦労してたんだろうな。
「お友達が一人減りました」事件
その日のスプラッシュは超激混みであった。
日曜日で天気はよく、パークには大勢のゲストが来園していた。まだスプラッシュがオープンして2年目くらいの時だったので、その日も大勢のゲストがやって来て、2時間待ちを優に超えていた。
2回目の春キャストはほんの数人しか入ってこず、その中の一人がT君だった。学生で土日キャストだったT君はある日、欠勤した。
無断欠勤だ。遅番のT君の姿が、ない。
超激混みの中、一人でも欠勤が出るのは非常に痛手である。
リードは運営部オフィスに連絡し、T君に連絡を取ってもらったが、連絡がつかなかった。
特にこの日は超多忙であり、外浮きを1名減らして対応したのだが、明らかに手が回っておらず大混乱していた。
1名少ないだけで、外の業務は段違いに忙殺されるのだ。もちろんリード達もほとんど休めない。
多忙な一日が終わり、スプラッシュもなんとか運営終了。
閉園時間を迎える頃、ようやくT君から連絡が来た。
直接電話をつないでもらい、ヒサシさんが電話に出る。
キャスト達が次々と戻ってきた。狭いタワー(管制室)内にみんなが集まってくる。
そんな中、ヒサシさんは椅子に座り、電話口に、
「お前さ、これからどうすんだよ。辞めるのか辞めないのかどっちなんだよ!」
ソフトだが、喧嘩腰である。
「やる気あんのかよ。どうなんだよ?」
遅番キャスト全員が集合していた。あとは終礼をするだけだ。
「……お前みたいな奴にいられたら、こっちが迷惑するんだよ!」
ガチャンと電話を切る。
そして椅子から立ち上がって、彼はみんなの方を向き、笑顔で、
「はい、というわけで皆さんのお友達が一人減りました」
シーン。
そこにいた20名以上が何も言えず、黙ったまま。
で、ある。
(笑)
★
最後にみんなでオンステージを通って帰る時、彼が話し出した。
「あいつさ、今日、友達の結婚式に出てたって言い訳してさ。お前の友達はいきなり当日に結婚式をやるのかって言ってやったんだよ。そしたら黙りやがって。お前やる気あんの、って聞いても、はっきり言わねえんだよ」
うーん、それはきっと彼の迫力に気圧されて言えなかったんだと思う(笑)
T君はかなり大人しい、優しげな性格だったし…。
ヒサシさんの書く文字は、達筆で美しかった
以前、スプラッシュのマニュアルについて書いたが、その際、手書きのマニュアルについて触れている。
この手書きのかなりの部分を、彼が担当していた。
リード職は書類作成にしてもキャストへの告知にしても、何かと書き物を多用する。彼の書いた文字は、実に美しい。
いわゆる書道家の書いた字とは違う達筆さで、バランスが抜群に整った字だ。
僕の書く字は癖がありすぎるため悪筆だ。彼の手書きの文字を見るたびに、どうしたらこんな綺麗な字を書けるのか、とずっと思っていた。
時々、彼が筆記するところを観察したこともあったが、秘訣はとうとう分からずじまいだった。
ウエスタンブーツぶん投げ伝説
彼は元々、ビッグサンダー・マウンテンにいた方で、スプラッシュのTDL導入が決定し、立ち上げのためにやって来た人だ。
スプラッシュマウンテンから異動した数年後、ディズニー・シーの立ち上げ時には、センター・オブ・ジ・アースの立ち上げの主導者となった。
さらにその後、タワー・オブ・テラーの立ち上げにも関わった。
つまり彼は、新規大型スリルライド型アトラクションの立ち上げに、常に関わっていた人なのだ。
話を戻して。
まだスプラッシュにいる時に、彼のビッグサンダーマウンテン時代の伝説を聞いた。
ある時、仕事をいい加減にやっているキャストがいた。
やる気のない態度にブチ切れた彼は、怒りのあまり履いていたブーツを脱いで、キャストに向かってブン投げてぶつけたという(笑)
昔のビッグサンダー・マウンテンのキャストは、コスチュームのアイテムとしてロングブーツを履いていた。僕も履いたことがあるけど、ウエスタンブーツはふくらはぎが隠れるくらいのロングブーツだ。
あれをわざわざ脱いで投げるとは……彼の怒りも相当なものだったろう。
その話にふれると、彼は、
「それ、よく言われるけど違うって。ブーツを投げたんじゃなくて足を振ったらたまたま脱げたんだよ。それに(相手に)当たってないから!」
よく言われるほど有名な伝説だという、何よりの証拠である。
★
超々余談。
スプラッシュで僕が一緒に勤務したリードの中の一人に、シンイチ君(後に登場予定?)がいた。
彼もタワー・オブ・テラーの立ち上げリードとして異動していったのだが、その際「タワーに来ない(異動しない)? 呼んであげるよ」
と、(たぶん冗談で)僕は誘われたことがある。
それって、あのヒサシさんと一緒に仕事するって意味だよな……
また彼を何度もブチ切れさせてしまいそうだしなぁ(笑)
たとえ本気のお誘いだったとしても、丁重にお断りするしかないわけで……。
「俺なんて鼻くそみたいなものだからよ」
何年もキャストをやっていると、リード職にある人への、この会社の人事が見えてくる。
総じて優秀なリードは、長期間同じロケーションに居続ける傾向がある。
立ち上げに関わった人達の中で、彼が最後まで残っていたことが、それを如実に表している。
そんなヒサシさんも、異動の時がやってきた。
最後の日、彼は、次の部署は現場ではなく本社勤務だと告げた。現場(パーク運営に携わる)勤務の社員が本社へ異動するのは、明らかに栄転である。
「俺が行く部署は、俺なんかよりずっと偉い人達がいるところだ。そんな連中からしたら俺なんて鼻くそみたいなものだけど、まあ頑張ってやってやろうと思ってる」
みたいなことを言っていた。
そんな、謙遜した発言がいい意味で似合わない人なのに、聞いている僕らがしんみりしてしまった。
僕のささやかな「気付き」
ただのネタ紹介になってしまったので、僕が彼から「気付き」を得た話を。
当時、僕は時々「その場の雰囲気に合わせて、ただ話を合わせる」ことがあった。
話を合わせるだけで、自分の意見が含まれていない発言だ。
たとえば、相手が意見を言う。
「これって〇〇だから××だよな」
自分は、そっくり同じことを返す。
「これって××ですね」
相手が意見を言ったのに対し、自分は何の意見も言っておらず、ただ反芻しただけ。
ある時、僕はヒサシさんにこんなふうに返した。
「××ですねぇ」
それに対し彼は、
「お前、もっとよく考えてから喋れよ!」
自分でも言った瞬間、今の言葉は何の意味もないよなと、改めて自覚した。
意味のない発言は無駄だ、ということを。
普通の人はそのくらいでいちいち指摘してくれない。あ、こいつの発言には中身がないなと思うだけで、あえて教えてはくれないものだ。
こういう「あえて伝えてもらわないと、自覚しない限り修正しないまま」なことって、結構ある。彼の癇癪のおかげで気付かせてくれたわけだ。
これ以降、相手が自分の言葉をどう受け取るか、相手の反応を予測してから発言するよう、意識するようになった。
★
かなり前に、テレビで東京ディズニーリゾートの舞台裏を取材した番組を見ていた時、突然彼が登場したことがあった。
スーツ姿でインタビューに答える彼は、かつてのブチ切れ芸を全く感じさせない、だが当時とほとんど変わらない、マイルドな語り口であった。
今も変わらず、穏やかにブチ切れているのかなぁ、と懐かしく思い出してしまった。
……あっ、こんなに彼の秘密をバラしたら、またキレられてしまう!(笑)