新しいものが好きだ。
家電製品はピカピカだし、服はシワもなければシミひとつないし、本はインクの匂いが封じ込められている。
アトラクションだって最初にできたときはピカピカだ。建物も新品。施設は壁も天井も床も真っ白(あるいはテーマランドに合わせたカラー)、乗り物も新品、それからコスチュームも全部新品、使用するもの全てが新しい。
あの新鮮な気分は一度体験してみないと分からない。
(何度も体験している人もいるけど、僕は一度でいいと思っている)
数十億、数百億円をかけた買い物に付き合うというのは実に面白い。
☆
異動する一月前くらいに、トレーニングの日程が決まった。
僕のグループは7月27日開始。トレーナーが1人、トレーニー(受ける人)が6人。2週間(10日間)の長いトレーニングだ。
基本的にディズニーのアトラクションキャストは、マンツーマンでトレーニングを行う。たまに、一人のトレーナーに二人の新人(トレーニー)がつくことがある。2人持ちと呼ばれる。
今回は6人持ちだったのでそれも驚きだった。
こんな長いトレーニングを受けたことがない。(基本、アトラクションキャストのトレーニングは3or4日間)
オープニングキャストのトレーニングは、この6名単位で順次日程を組まれ、進められてきた。
異動して来てから知ったのだが、スプラッシュのキャストは、元々勤務していた部署から移ってきた異動組と、今回のオープンに伴って採用された新規組に分かれていた。
新規組の早い人たちは5月くらいから現場に配属されて、トレーニング終了後は本格的に始動するまで他のアトラクションに行って勤務していた。
僕ら異動組はキャスト経験者なので、新規組の後で投入されたというわけだ。
トレーニングは私服(スーツ)で受ける。まだコスチュームがなかったからだ。スプラッシュのコスチュームはまだ完成しておらず、トレーニング中にサンプルの写真を見せてもらった。
某リード二名が着用した見本の写真を見せてもらったが、映りが悪くて色やデザインがよく分からなかった。
目次
スプラッシュ・マウンテンのキャストは「きこり」?
1日目から座学のトレーニングが始まった。
場所は、今は無きトレーニングセンター。ウエスタンリバー鉄道の車庫の隣に立っていた、プレハブのような建物だ。
まずは一緒にトレーニングを受けるメンバーの自己紹介から。
マークトウェイン号から来た僕の他は、
O君(♂・ミート・ザ・ワールド)
M君(♂・ミート・ザ・ワールド)
ロミさん(♀・ビッグサンダー・マウンテン)
カナさん(♀・ビッグサンダー・マウンテン)
ミチさん(♀・白雪姫)
というメンバーである。
そしてトレーナーは、最後に勤務していたのがメインストリートハウスの、ヒデト氏だ。もちろん彼とは初対面である。
ヒデト氏は以前ビッグサンダーで勤務していたこともあったので、ロミさんとカナさんは旧知の仲らしく話が弾んでいた。なので、僕とミチさん、O君、M君は蚊帳の外な雰囲気でトレーニングは始まった。
O君とM君は、今はもう存在しないミート・ザ・ワールドという日本をテーマにしたアトラクションから異動してきた。二人とも土日キャストだ。
後で知ったのだが、トゥモロー/ファンタジーエリアの異動者は、抽選で選ばれたのを知っていたので、よく二人もミートから来れたね、と言うと、二人ともスプラッシュへ行けるとは期待していなかったので、決まったときは驚いたそうだ。
アトラクションの概略から説明を受ける。
パークのアトラクションや施設には、独自のバックグラウンドストーリーがある。どの施設にも物語の設定があるのだ。
クリッターカントリーは小動物の郷(くに)という設定だ。小さな動物たちが住む田舎であり、ランドデザインはアメリカ南部をモチーフに形作られている。まさにディズニー映画『南部の唄』の世界そのものだ。
スプラッシュ・マウンテンの世界観は、『南部の唄』のアニメパートに登場する三匹のキャラクターの物語を抜粋して作られている。残念ながらこの映画のビデオは内容が人種差別的表現を含むため、今は一般発売はされていない。
で、肝心のストーリーだが、超ざっくりと説明しておこう。
昔々、クリッターカントリーには人間が住んでおらず、小動物たちだけが仲良く暮らしていた。その小動物の郷へいつの頃からか人間たちがやって来て、急流下りを楽しむようになった、というもの。
(正式なストーリーは別にあるので、ご自身でお調べ下さい)
後からやって来た人間である我々キャストはどんな設定なのか。ヒデト氏に聞いてみる。
ヒデト氏「きこりです」
は?
僕らは拍子抜けした。
きこりって、あのきこり?
ヒデト氏「はい。そのきこりです」
意味が分からん(笑)。
当時のキャストの誰かが、きこりって言うとテレビCMで「大きくなれよ〜」って言うウインナーのCMがあったけど、あれってきこりだよね?と言い出して、みんなそのイメージが出来上がってしまったようで、あのCMしか思い出せないって言っていた。
しかし出来上がったコスチュームを着てしばらくする頃には、まあ間違っていないような気がしてくるから慣れというものは恐ろしい。
■◆
まだ完成していない施設の解説が続く。
ビッグサンダー出身の二人は難なく理解していたようだ。やはりジェットコースター系アトラクション経験者は理解が早い。
正直言うと、僕にとってはスプラッシュの各ポジションの職責の説明をされても、何が何だかさっぱりだ。
具体的に何をやるのか、全然イメージできていなかった。
「僕らなんてミートですよ、ミート」
休憩中に、O君が自虐的なコメントを放つ。そう、O君もM君もトレーニング内容がピンときていないようだった。
のちに自分が教える立場になって実感したことだが、実際に運営されている状態を見ながら作業内容の説明をするのは、割と簡単だ。
目の前で別のキャストがやっているゲスト対応を見せながら、こうやってやるんだよ、と言えばいい。
しかし、まだ目の前にないものを説明するのは至難の技だ。
イメージできない作業手順を教えるヒデト氏がいかに苦心していたか、何年も経ってから痛いほど理解できた。
霧の中をさまよっているみたいで、先行きの困難さを感じさせた。
ただそれでも、新しい体験をするんだというワクワクする気分が先に立ち、不安は全くない。
僕自身は逆に緊張感がなく、眠気に襲われてウトウトするほどだった(おかげでヒデト氏からは、後々何度もトレーニング中に寝てましたよね、と責められるハメになった)。
スプラッシュマウンテン内部へ、ヘルメットをかぶり入っていく
初日のトレーニング中に、ひょっとしたらスプラッシュの内部へ入れるかもしれないという話になり、期待感が膨れ上がる。
ちょっとだけ中を覗けるチャンスが訪れた。部屋にこもって説明を聞いていた午前から一転、午後はクリッターカントリーへ向かう。
まだ工事中のため、内部へ入るにはヘルメットを着用しなければならない。ただしヘルメットが人数分用意できるか、などという理由もあり、入れるか不明な状態だった。
やきもきする中、どうやら短時間なら入れそうだとなり、いよいよ初めて中へ行けることになった。
見慣れたパレード倉庫の前(ホーンテッドマンション裏)からスプラッシュの建物裏側へ。近付くとそこには普通の工事現場が広がっていた。建設が進む敷地内は鉄パイプで組まれた背の高い柵で囲われていて、建築資材が広い場所に隙間なく置かれていた。
柵の一部に隙間ができていて、狭い通用路がまっすぐ伸びていた。
みんなで一列になって入っていく。
奥に建物が見えてきた。
建物の手前の壁に鉄のドアがあり、ドアストッパーで開放されていた。さっそく内部へ。
中は、明るい灰色のコンクリートで覆われた狭い空間だった。
入るとすぐ足元に水路が走っていたが、コンクリートの水路内に水は、ない。
すぐ手前に、水路の向こう岸へ渡るための細長い板がかけられていた。
反対岸へ渡る。幅30センチくらいの板を慎重に踏みしめる。意外としっかりしていた。
その空間の奥左側へ、水路は続いていた。
水路と壁との隙間が1メートルもない狭い道があり、通り抜けると、急に装飾された世界に突入する。
壁は洞窟風のゴツゴツした岩だらけのデザイン。
最初に見た時はここが館内のどこなのか、さっぱり分からなかった。
「ここがアンロード(降り場)ですね」
ヒデト氏が言った。
静かな、暗い内部を進んで行く。降り場には人がおらず動くものもない。
中央の広い場所、手すりが並ぶあたりに足場が組んである。
何が未完成なのか、見ても分からない。
乗り場は右側にあるようで、そちらの方向を覗くように見るヒデト氏。どうやら今は作業中で行けないらしい。
「うーん、今日は行けないみたいですね。ロード(乗り場)はまた今度にしましょう」
僕らはそのまま出口通路を通って、屋外へ向かう。
出口通路を通り外に出る。
出口周辺も工事中でまだ全然完成していない。地面は砂利だらけでスタンプドコンクリートはまだ張られておらず、工事車両が堂々と駐車していた。
クリッターカントリーの地面を覚えている方は思い出して欲しいのだが、他のエリアとは異なり、表面がデコボコしている。よく見ると、小動物の足跡があちこちにつけられている。
これをスタンプドコンクリートという。
まだ未完成の地面は、10センチくらいの高さの仕切りが複雑な形に走り、中に砂利が敷かれている。
作成途中の地面を慎重にまたぎながら、砂利を踏んで進む。
出口を出たすぐの場所には、砂利の上に電熱線がくねくね走っていた。
クリッターカントリーの地面の、特定の部分には床暖房が入っている。この床暖房を、ロードヒーティングと呼ぶ。
と言ってもエリア内のごく一部に設置され、暖房というほどあったかくなるわけではなく、冷たくない程度に放熱する。
冬季に、スタンプドコンクリートはデコボコがあるため、凹みに残った雨水が凍結した際ゲストが転倒しないよう、凍結防止用に導入されたものだ。
僕は電熱線を踏まないように、注意して歩く。
次に、僕らは滝壺の方へ向かって行った。橋の下をくぐる。
建築資材がそこら中の地面に置かれていて、歩ける場所も狭い。
道端をふちどる岩も、今はただの針金でかたどられた塊でしかない。
あと2ヶ月でオープンだ。
本当に、間に合うのだろうか。