書こうか書くまいかとずっと悩んでいて、いっそ忘れてしまおうと思ったけど。
でも残しておきたいこともある。
ささやかな思い出のかけらを、残しておきたかった。
目次
春の新人のトレーニングに、リード達は頭を抱えていた
1993年の春にスプラッシュは初めて3日間トレーニングによる新人を迎えることになった。
春キャスト、略して春キャスは大体2月の終わりくらいから現場に配属される。募集をかけるサテライトが2月の上旬に開催されるからだ。
僕らオープニングキャストは全員10日間のトレーニングをみっちり受けている。しかしそれはオープニングキャストだから許されたことであり、今後入ってくる新人にはそんな予算はかけられない。通常アトラクションでは新人のトレーニングは基本3日間で終わらせる。スプラッシュも例外ではない。
年が明ける前、リードのJBさんが頭を抱えていた。
「どうしたんですか」と聞いてみると、
「春に入ってくる新人をどう教えるか、考えるだけで頭が痛いよ」
僕らキャスト経験者でさえ苦労して覚えたスプラッシュの手順を、これから新人に教えなければならないのだ。
キャストの仕事を全くしたことのない、未経験者が入ってくる。
「お前ら(経験者)でさえ10日もかけたのに、それを『こんにちは』も言ったことのないド新人に3日で全部教えるんだぞ」
僕ら自身が苦労して身につけた業務内容を、これから入ってくる新人達に教えてあげないといけない。実に悩ましい問題だった。
そして着実に、春が近づいてきていた。
初めての3日間トレーニングを受けたマキ
ひょっとしたら、トレーニング内容を3日に凝縮した新メニューを、いきなり普通の新人に試すのは危険と考えてのことだろうか。
最初に3日間トレーニングを受けたのは、春キャスではなく異動してきた社員だった。
確か1月の終わりくらいの、まだ春が遠い時期に、彼女はやって来た。
それが、マキだった。
ビッグサンダーマウンテンから異動して来た彼女は、当時まだ19歳の小娘で、鼻っ柱の強い女の子だった。勝気な性格と負けず嫌いな強い気持ちを、時おり表に出した。小柄な彼女は、きびきびした歩き方であっちへ行ったりこっちへ来たりよく動く。
最初は異動元のあのアトラクション特有の「職業柄」から来る強さかと思ったが、本来の気質だとほどなく気づいた。
わがままなゲストの対応の後で、
「あーもう聞いてよ。さっきのあいつ、超ムカついたのー!」
握りこぶしを勢いよく振りながら、僕の腕を何度も叩く。
こんな言葉を放つこともあったが、その感情は怒りから来ると言うよりも、むしろポジティブに感情の整理をしようとして吐き出された言葉だった。
それを表すかのように、彼女はいつもカラッとした明るい性格であった。
笑うとウフフッと独特の声を放ち、とても愉快そうに頬をふくらませて笑うので、こっちも思わずつられそうになる。
社員にとってアトラクションを異動するのはごく普通のことであり、同じ部署内で業務内容が変更になっただけなので、珍しいことではない。複数のロケーション(部署)を異動して経験を積むのは、今後リード職に就くためでもある。
彼女はめざましい早さで成長していった。僕ら準社員に比べて勤務時間も長かったし、周囲からのプレッシャーもあっただろう。勝気な性格も幸いしたと思う。
やがてマキは、トレーナーに昇格した。
彼女は年が近かったのもあるし立場も近いであろう、K谷君と付き合うようになった。二人ともトレーナーのカップルの誕生だ。
この二人がトレーニー(新人)に関して話し合っているのを聞いたことがある。ちょうどスプラッシュがダウンしていて、僕とK谷君とマキの3人で、降り場で待機していた時だ。
「私の子供の〇〇さんはさ、先週デビューしたんだけどちゃんとやってるかなー」
「俺の子供の☓☓君は、まだ緊張が取れていないみたいでちょっと心配かな……」
子供と言うのは自分が教えた新人のことだ。アトラクションキャストは、マンツーマンで教えてデビューさせるので、自然とこういう表現をする。教え子の心配をしながらも、何となく楽しそうな二人だった。
自分が教えた新人のことをあれこれ悩むなんて、当時の僕にとっては新鮮な感覚だったので、ちょっとだけ二人が羨ましかったのを覚えている。
二人の会話というよりトレーナー同士の会話だから余計そう思えたのかもしれない。
その後K谷君は、一年ほど後で退職してしまう。またマキも程なく異動してスプラッシュを去っていった。
異動する前に、彼らを含め数名で温泉旅行に行ったことがある。「また来年行こうね」と言われたが、結局それは実現しなかった。
いつぞやのサンクスデーでは、彼女がカリブの海賊の入口で出迎えてくれた。社員が働き、準社員を迎えるサンクスデーで、彼女は他のスプラッシュのSV達と一緒にパイレーツのゲスコンをしていたのだ。
カリブの海賊のウインターコートを着込んだ彼女は、僕の手元にある写真の中で、いつもの笑顔で微笑んでいる。
マキが異動した後、そしてK谷君が退職した後で、二人が結婚したのを聞いた。とても順当な結果だなと思った。
その後、折に触れマキとはよく顔を合わせた。ロッカーのあるワードローブビルで、スター・ツアーズのオレンジのコスチュームを着ている彼女に出くわしたことがたびたび。
その頃すでに彼女は、スター・ツアーズのリードになっていた。ネームタグもK谷に変わっていたし、相変わらずの快活さで挨拶を交わす。
「(僕に対し)どう、元気?」
「うーん、相変わらずだね」
「そっかー(笑)」
と返事。
そんな期間が、気がつくと、8年くらい経過しただろうか。
突然の復帰と、僕の退職日を見届けてくれた彼女
そして、彼女に異動が言い渡された。何とその移動先は、スプラッシュマウンテンだ!
その頃のスプラッシュはSV(その時代はリードはSVと呼ばれていた)の人数が不足していて、僕らトレーナーにもその負担が来ていたくらいピンチが連続していた時代だった。
今来てくれるのは誰であれ助かる。しかしまさかマキが戻ってくるなんて!
もう渡りに船である。彼女ほどの心強い味方は、他にいない。
異動してきて、初顔合わせの時。
マキは例のごとくウフフッと笑い、
「はじめまして、K谷です」
「知ってるよー」
と僕。
こうして彼女は、僕らの責任者になった。
数年ぶりに一緒に仕事をしてみると、彼女がとても大人になっていたのに気付いた。もちろん昔の勝ち気な性格は残したまま、でも落ち着いた柔軟な対応とそれに伴うスマートな行動は見違えるほどスムーズだった。
あの小娘が、こんなに立派な責任者として、昔のスプラッシュとはずいぶん雰囲気の変わった中に戻ってきてくれるとは。
そして彼女は、急速に馴染んでいったのだ。まるで、もう何年もここで勤務し続けてきたかのように、洗練された仕事ぶりだ。
それから少したって、今度は僕が退職する日がやって来た。
実は、僕が退職する最後の日の早番SVが彼女だった。僕は彼女にキャスト人生の幕引きをしてもらったようなものだ。
★
僕が退職してから数年後に、彼女がこの世を去ったことを知らされた。
持病が原因と聞いたのみで詳しいことは知らない。まだ30代前半の若さで逝ってしまった事実を、あの元気な姿に重ねることができなかった。K谷君の心中は想像すらできない。
すぐ思い出したのは、僕の退職の日のことだ。
僕が朝出勤すると、マキが、
「今日はどうする? 普通に(ローテーションを)回る?」
と聞いて来た。僕は、
「普通でいいよ」
と答えた。
「分かった」
と言うなりマキはローテーションシートに僕の名前を書き込んだ。
最後の日は普通のキャストとして、最も基本の仕事をする。特別なポジションはいらない、一キャストとしてこの日を終えるのだ。
そして一日が終わり、タワー(オフィス)に戻って来ると、全員揃った中で僕が最後の挨拶をさせてもらった。
その場で、
「以前から最後の日に何を言うかをずーっと考えていて、でも実際にその時になったら何も思い浮かばないんだよね」
と率直に語った。
マキは、
「そんなものだよねー」
と合いの手を入れてくれた。
彼女に見送られてよかったな、とその時しみじみ思ったものだ。
それから、彼女がスプラッシュへやって来て間もない頃も思い出す。
ゲスコンで一緒になりクリッターカントリー入口で最後尾にいた時。館内で忙しく動いていた時。
それから温泉に行った時も。
キビキビと歩き、病の片鱗すらない、跳ねっ返りで強気のマキは、今も変わらず記憶の中で生き生きと歩き回っている。
最後の日の、別れの時に、タワーを出て行く僕にマキが、
「いつでも遊びに来てね」
と声をかけてくれたのも。
あのウフフッという笑い声が、今もすぐそばにいるかのように、聞こえてくる。
うん、忘れるもんか。