スピールの流儀(上)【スプラッシュ・マウンテン019】

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キャストになって一番最初に苦労することと言えば、横文字文化かもしれない。ディズニーは何でも横文字だ。休憩すらブレイクと言ったり、食事もいちいちランチと呼ぶ。
それでも和製英語ならすぐ分かる。
ランチとかブレイクなら、すぐ理解できるだろう。

しかし耳で聞いただけではどういう意味か分からない単語もある。純粋な英単語は日常生活で使わないから一層厄介だ。
現場で行われるOJT(トレーニング)において、おそらく真っ先に出てくる言葉の筆頭とも言えるものに、「スピール」がある。

スピールが何かを説明するのはけっこう難しい。
意味は知りすぎるほど知っている。あまりにも基本過ぎて、今さら説明しろと言われても空気のように自然な存在になってしまうから、かえって説明しにくいのだ。

会話の中で、キャストは
「〇〇さん、スピールして」とか
「準備ができたらスピールを始めて」
などと使う。
要するに、声を出してゲストに伝える言葉、セリフのことだ。

もちろん、ただの日常会話ではない。しっかりと声を出して、ゲストに必要なことを告知するのだ。ディズニーランドのお兄さんらしく、元気よく、明るく。

僕は人前で話すことは得意ではない。むしろ苦手な方だ。
だが、スピールは面白い。得意ではないが、面白さは知っている。
その奥深さも、知ってしまった。

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マークトウェイン号でのスピールの流儀

蒸気船マークトウェイン号のトレーニング、つまり僕が最初にキャストになった日。
3月の春の朝、僕は初めて「スピール」をやらされた。

トレーニング初日、最初に教わったポジションがゲスコンだった。船着場の前に立ち、やって来るゲストに向けて声を出す。

春休みに突入していた時期だったから、入園者は多かった。ただマークトウェイン号に乗りに来る人はそんなに多くなく、乗り場前はまばらに人がやって来る程度。

「元気よく行ってみよう!」
トレーナーのM氏はそう告げて、拳を空に向けて突き上げた。元気よく、を体で表現して僕を鼓舞してくれる。
そして少し離れた位置へ引いて、遠くから僕の様子を観察した。

船着場の正面に立ち、僕は声を出す。
事前に教わっていたスピール内容を、繰り返しやって来るゲストへ向けて発する。

なんだかフワフワして、自分がちゃんと言えているのか、よく分からない。
5分ほどたって、M氏が近づいて来る。
「もっと元気よく。やけくそになってやってみな」

やけくそにやれ。
これがスピールに関して、僕が最初に教わったことだ。

最初に人前で声を出すのはやっぱり気恥ずかしいものだ。それを克服するには、恥ずかしさを吹き飛ばすしかない。
それには、声を出して出して、出しまくる。それしかない。

そうか、やけくそか。
と、思った僕は、文字通り、やけくそになって、声を出し始めた。
徐々に声が出るようになった。
何だろう、このすっきり感は? と不思議に思うほど、自分が変化していくのが分かった。

キャストをやっている(勤務時)間はスイッチが切り替わり、違う人になったみたいな感覚だ。
そこにいるのは別の人格で、そいつはやたらと元気がよくてこのパークの住民にふさわしい人で、ゲストをもてなすプロフェッショナルな役者だ。
つまり、自己暗示をかけたということか。
この解脱(げだつ)した感覚を知ると、どんどんキャストが面白くなってくる。

マークトウェイン号には放送用のマイクが2箇所ある。
一箇所は待合室内に流すマイクが入口に。
もう一箇所は船内に流すための操舵室に。

どちらもそのポジションに入ると、ゲストへの案内のために使用する。
マイクを使った案内も「スピール」と呼ぶ。ただし「PAスピール」と言う。
マイクを使ってスピールするときは、肉声のときと違ってちょっとコツがいる。
滑舌よく喋るのは当然だが、通常の会話よりゆっくりめに喋ると、スピーカーからの声の通りがいい。
決まりきったセリフではあるが、数十名〜数百名へ案内するのはなかなか気分がいいものだ。

リードのF原さんが、ある雨の日に、僕らにこう言った。
「『足元が滑りやすくなっております』は言っちゃだめだ。『滑りやすい』はゲストの不安を煽る。『濡れておりますのでお気をつけ下さい』で行こう」

船内で、雨の日は出入口付近が雨に濡れているため、安全確保のPAスピールを行う。
船の甲板は板張りの床だ。ワックスがかけられてツルツルなところへ、雨で濡れると靴の底がとても滑りやすい。
キャストは革靴の上からゴム製の靴カバーをかぶせているのでまだ大丈夫だが、ゲストは何の準備もしていないので、よく足を滑らせる。

転ぶだけでも危険だが、乗船下船の際に足が滑ると、船と乗り場の岸との隙間に足を落とす人も出てくる。通常20センチもないくらいの隙間だが、たまに足が滑って落ちる人がいるのだ。(爪先が落ちてバランスを崩しよろける程度)

スポッと落ちたら、体ごと落水しないとも限らない。だからスピールで注意を促す。
それ以来、マークトウェイン号でPAスピールから滑りやすくなっております、が消えた。

ふーん。そんなものかな。
当時の僕はピンと来ていなかった。もっと直接的に伝えた方が分かりやすくないかな? 当時の僕はそう思っていた。

でも、それから何年か後にふと思いついたことがある。
直接的に説明すれば、ダイレクトに理解させることができる。でも、それって風情がないのでは?
風情というと漠然としているけど、何でも直接伝えればいいというものではない。

ご注意下さい、段差があります。階段にお気をつけ下さい。ご乗船の際は足元にお気をつけ下さい……
緊急時は直接伝えた方がいいだろう。しかし蒸気船には緊急的に迫るような危険は、ほぼない。乗り降りの際や、階段の上り下りに気をつけてもらえば十分だ。だったら、直接的に伝える必要はあまりない。いくら善意だとしても、パーク内のあちこちでああしろこうしろと指示ばかりされて、果たしてゲストは楽しいだろうか。遊びに来たのにこまごまと警告されるのは安全上の必要があっても息苦しさを感じないか。せめて蒸気船くらいはリラックスしてもらいたいものだ。

アトラクションによって、それぞれふさわしい表現があってもいい。

何でもかんでも直接伝えるだけがベストってわけでもないのかな、と。

スプラッシュ・マウンテンのスピールには流儀も礼儀もなかった

スプラッシュ・マウンテンに異動し正式にオープンした後。

大勢のゲストが後から後からやって来た。
果てしなく伸びる長い列。熱狂を生んだ新アトラクションにできた列は、クリッターカントリーを超えてウエスタンランドに飛び出してさらに伸びるのが、毎週末の恒例になった。

アトラクションの列は、放っておくと大変なことになる。
ただ伸びるだけ? いえいえ、伸びた列は放置すると他の施設に迷惑になる。
大抵は真っすぐ伸びる。伸びて、建物や植え込み、柱、壁などに突き当たる。するとゲストはどこに並べばいいか分からなくなる。そこへ適当に並ぶと、列が分裂したり、割り込みが発生する。

トラブルになることは確実だ。
それに加え、他の施設の運営・営業の邪魔になる。並んでいない人たちの通行を阻害する。などなど、様々な問題が発生する。
だから、列のコントロールは非常に重要だ。

列の動きを観察していると気づくのだが、列は動いたり止まったりを繰り返している。
考えてみれば当然のことだ。
並んでいるのは人。人は、自分の前に並んでいる人が進むと、それについていく。その動きは、前の人に従って動く。当然ですね。

ところが。人は常に前の人を見続けているわけではない。
みなさんも覚えがあると思う。家族や友人などとグループで並んでいるとき。
会話に夢中になっていて、気がつくと前の人たちが進んでしまい、間隔が空いてしまい慌てて自分たちも進んだ、ということが。

列とは、そういうもの。
まだキューエリア内にいれば、ロープなどで囲われているので問題はない。

気づいた時点で、前の人に追いつけばいい。

ところが、列がパーク内にただ伸びているだけだと、空いた間隔にもよるが割り込みが発生することがある。

前の人が動いていることにすぐ気づけば間隔は開かない。
しかし、しばらく気づかずにいて数メートル開いたら。
列の間に大きなスキマができてしまい、列には見えなくなってしまう。

中央に、ポッカリと空いた空間は、他の人から見ると最後尾に見えることがあるのだ。

そこへ新たに並ぼうとしてやって来た他のゲストは、開いた部分が最後尾と勘違いし、並んでしまう。意図せず発生する割り込みだ。

ゲストがお喋りに夢中になるのは自然なことだ。
また、最後尾を勘違いしたゲストにも落ち度はない。
結果、誰も悪意のない割り込みが起きてしまう。

そこへ無関係な通行人が列のすぐ近くを通行していれば、さらに紛らわしくなり、割り込みが発生しやすいのだ。

これを防ぐには、キャストが見ているしかない。
間隔が開いたらそのつど並んでいる方へ教えてあげて、間を開けないようにお願いする。

それしか、自然な割り込みを防ぐ方法はない
だからキャストは、伸びた列には相当神経を注いでモニタリングしなければならないし、できるだけキューエリア内に収めるよう努める。
(意図的に列を伸ばすこともある)

僕がスプラッシュでゲスコンを始めたとき。自分がずいぶんのんびりしていたな、と痛感させられることがあった。
自分の感覚としては、マークトウェイン号でのゲスコンをイメージしていた。しかしやって来るゲストの人数も勢いも、まるで違う。

どんどん人がやってきて、新アトラクションに次々と並ぼうとする。
ゲストたちが携えてくる熱量の違いをはっきりと体感し、驚かされた。
すごい。さすが、できたてのアトラクションにかける人たちの気合いは全然違うな、と感心したものだ。

恐ろしいほどの勢いで並び、列がひたすら伸びているとき。
他のキャストの動きも同時に見ていたのだが。

「もっと詰めて下さーい」
と言っているキャストがいた。

よくバスに乗ったときなどに、「奥へ詰めて下さい」という言い回しを聞く。
しかしディズニーキャストの使う言葉としては、NGワードである。
詰めるのは「荷物」だ。
人間は荷物ではないので、「詰めて下さい」はNGだ。

しかし、それを平然と使っているキャストがいた。
マークトウェイン号時代には当然のごとく使うな、と言われていた言葉だ。

列の動きが速いときがあって、どんどん列が進むのに、並んでいるゲストたちがそのスピードについていけない時がある。
列がどんどん進む。
ピタッと止まる。
またどんどん進む。
そんな緩急の激しい動きをするときがある。
だから、キャスト側としては焦ってしまい、並んでいるゲストに速く進んでほしいときもある。

あのキャストたち。僕より全然キャリアが上の人たちばかりじゃないか。
各々のキャストがどのくらい経験があるかは、従業員番号を見れば分かる。僕らのスケジュール表を確認すれば、氏名と番号が載っている。勤続2年、3年、5年。僕より長くキャストをやっている人たち。
もう何年もキャスト経験のある人たちが、そんな基本的な表現ルールを、平然と破っている。

経験が浅く、超多忙なアトラクション経験がない人なら仕方ない。
しかしどちらかというとベテランと呼ばれてもおかしくない人たちがあんなでいいの?

僕は疑問に感じていた。
百歩譲って、忙しすぎて思わず失言した、ならあるかもしれない。
しかし数ヶ月間一緒に仕事をした結果、日常的にやっていたのだ。

この程度の人たち、なのか?
スプラッシュは、もっとクオリティの高い仕事をする人ばかりが集まってきたのではなかったのか。

明らかな失望を、僕は感じていた。

(つづく)

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あっくんさん

あっくんさん

元TDLにてアトラクションキャスト勤務を経験した十数年間を回想する場。このブログはそんな僕の、やすらぎの郷でございます(笑)。

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