いきなりだが、ディズニーキャストにとって最も重い罪は何だと思うか?
お客様からクレームを受ける? いいえ。
接客態度が悪い? 違う。
向上心のない姿勢で勤務すること? これも違う。
上記の項目は確かに悪いことだが、それが原因で解雇されることは実は稀だ。
だが、次の理由でクビになることは、確実にある。過去に何人も見てきたから間違いない。
今回は、キャストにとっての、最も重大な罪についてだ。
目次
僕が初めて遅刻したのは、トレーニング初日だった
僕が最初にキャストになった時期は春で、ちょうど春休みのピークを過ぎた頃のことだった。
初日はオリエンタルランドの本社で行う入社式と、ディズニーユニバーシティと称する講習を受ける。次に、別日に各部ごとに行う「オリエンテーション」という研修を受ける。
この時点はまだ何も仕事はしていないが給与が出る。
僕は入社式〜オリエンテーションまでが約一ヶ月空いてしまい、まだ仕事させてもらえないのかとひたすら待ちわびていた。と言ってもディズニーに憧れていたからじゃなく、仕事しないとお金が……という理由で。
ようやく現場で行うOJT、つまりトレーニングが始まったのは3月も終わりの頃だ。
しかし僕は何と、この初日に遅刻してしまった。
理由は寝坊、ではなく、単に電車の時刻をよく確認していなかったため、乗り遅れてしまったのだ。
僕が通勤で利用していたJRの武蔵野線は、一時間に2〜3本しか走っておらず、一本乗り遅れたらもうアウトだ。
トレーニング初日の集合時間は午前6時30分。
30分前に到着する電車に乗るつもりが、時刻表の読み間違いで乗り遅れてしまった。まずいな……でもしょうがないじゃん、と半ば開き直って出社した。
舞浜駅についた頃には、6時30分を回っていた。
前回来た時に、コスチュームを借り受けていて自分のロッカーに入れてあったので、急いで着替えて、集合場所の運営部オフィスへ。オフィスは建物の二階にあった。
「あ、来た」と声をかけられた。オフィスにはスケジューラーや事務の人がいて、僕が来なかったので心配していたらしい。
しばらく待ってて下さい、と言われ、居心地の悪い気分で待つ。
数分後、トレーナーのM氏がやって来た。ごあいさつ。
すみません、と頭を下げる。M氏がどう反応したかは、全く記憶にない。
とりあえず行きましょう、と言われ、そのまま歩いてオンステージへ。
車両が止まっていたり、商品を満載したカートが通路の両脇を埋める間を抜けて、パーク内へ。
アドベンチャーランドに出た。
まだ人気のない、従業員しかいない早朝の園内は静かだ。それとなく会話をしながら歩く。
今いくつ?とかディズニー好きなの?と話しながら、M氏はパーク内の施設を簡単に説明していく。このスタイルは、のちに僕自身がトレーナーになった時も、同じように説明しながら歩いてロケーションへ向かったものだ(というかみんなやってたけどね)。
やがて、ウエスタンランドへ。汽車の高架をくぐり、マークトウェイン号の乗り場が見えてきた。
白い木造の乗り場の向こうに、蒸気船が停泊している。
何とも言えない微妙な失敗から、僕のキャスト勤務がスタートした。
「どんなベテランでも、月に3回遅刻したらクビだよ」
現場でのトレーニング期間は、3日間。
今、手元にある給与明細を調べると、3月25、26、27日だ。
しかし、何と! 僕はその数日後、また遅刻をしてしまうのだ。
明細を見ると、4月4日。この日の勤務時間が7時間12分と記録されており、3分の遅刻だ。
ちなみに、キャストの出退勤は自分のIDカードを勤務場所のATRに通して記録するので、ごまかしはきかない。そして遅刻はたとえ1分でも遅刻である。
初日にやらかしてから、10日とたっていない。
初日は見逃してもらえたものの、またしても遅れては冗談では済まされない。普段はにこやかなリードのF原さんも、今回ばかりは渋い顔でお説教。
ここでいかに遅刻が重大な罪であるか、滔々と諭された。
「なあキンちゃん(僕のこと)、社会人にとって時間を守るのはとっても大切な事なんだぞ。時間を守れない奴は誰からも信頼してもらえない。この仕事を続けたかったら、真剣に考えな」
「どんなベテランでもトレーナーでも、月に3回遅刻したらクビだぞ」
そして目覚まし時計をいくつ使っているか、と聞かれた。
「うーんと、一つですね」
「俺なんか3個使ってるぞ。今日、仕事帰りに目覚ましを買って帰りな」
この時の遅刻の理由は寝坊ではなかったと記憶しているが、F原さんは寝坊で僕が遅れたと思ったのだろう、目覚まし時計の必要性を強調していた。
でもこのアドバイスが後の僕を、何度も救ってくれることになる。
そうなのだ。
キャストにとって、最も重い罪は何かと尋ねられたら、間違いなく遅刻なのだ。
パークは常に最少人数+αで回している
部署にもよるが、人件費の効率化は限界まで切り詰めることで実現している。
たとえばシアター型アトラクションで、ポジションが3つあるとする。パーク開園時にはキャストはちょうど3人しか出勤しない。
だから、一人足りないだけで、アトラクションは動かない計算になる。
では、もし一人でも遅刻したらどうなるか?
責任者のリードが穴埋めにポジションに入るのだ。何かイレギュラー対応があっても動けない。ただ、開園30分後くらいに次の時間帯の、休憩回しのキャストが1人来るので、それまで持ちこたえるしかない。
遅刻ならまだマシな方で、欠勤したらもう大ピンチである。それくらいギリギリの人数で回している。
実際は、それで一日を乗り切れるわけでもないので、代役を今から呼び出せるか、休みの子へ連絡してお願いする。探しても入れる人がいなければ、他のアトラクション所属で、このシアターの経験者が勤務に入れないか、片っ端から探すのだ。
具体的には、たとえばカントリーベア・シアターのキャストが一人足りないとする。
他ロケーションのキャストで経験者は誰かいない?(当日の運営部の出勤者情報は全ロケーションで把握しているので、○○さんがスプラッシュにいるぞ、こっち入ってくれないかな?)となり、スプラッシュへ内線連絡が来る。
当日スプラッシュで勤務している人で、カンベアー経験がある人へ、今から行ってくれない? とお願いする。
えー、私もう一年くらいやってないから無理です〜、と不安がる子には、「大丈夫大丈夫、なんとかなるから!」と、説得して行かせる(笑)。
了承してくれたら、今すぐにスプラッシュの勤務を抜けて、ジャングルクルーズ裏手のワードローブビルまで戻り、コスチュームを交換して、着替えて戻ってくる。
そしてベアーシアターのシフトに入る、というわけだ。
ちなみにスプラッシュが一人不足しますので、こっちが一人削っても問題ない場合に限り有効な手段ですね。
でもやっぱこっち(スプラッシュ側)の業務がキツくなるという(泣)
僕の経験では、スプラッシュに異動して一年くらいたった頃に、明日のマークトウェイン号が不足しているので入って、と前日に言われたことはあります。
当日にいきなり行って、と頼まれることはほぼなかったと思う。
下手をすると、アトラクションが動かないくらい大ピンチになる。遅刻ならまだましだけど、欠勤だとさらに危機的状況に追い込まれる。
だからこそ、勤怠にはめちゃくちゃ厳しいのがディズニーなのだ。
でも、そんなギリギリな人数で回していて、いざという時にお客様に迷惑がかかるんじゃ意味ないんじゃないの?と思いますよね。
僕も最初の頃、いつもそう考えていた。人件費を下げるのなんて会社側の都合じゃん。ゲストのことを考えるならむしろ余裕をもたせて多めの人数を確保しておいて、いざという時に備えた方が喜ばれるのにな、と。
何年もたち、様々な運営の手法を知り、多様なシチュエーションを見て思い返すと、ちょっと違う風景が見えてくる。
人数を余らせていると、私語が増える。
キャスト同士がおしゃべりを始めるのだ。人数が少なくても私語はするけど、多いと立ちんぼのキャストが増える。人が余っていて何もすることがないので、仕方なく私語をしてしまう。
私語が増えると、注意力が散漫になり、周りの状況の変化に気づきにくくなる。
これは致命的なミスにつながる恐れがある。ゲストから見て態度が悪いな、というだけではない。
アトラクションは、安全確保がおろそかになる恐れがあるのだ。
特に、スリルライド系アトラクションだと、ほんの短い時間であってもキャストの油断が大きな事故につながる可能性がある。
危険なシチュエーションは、混雑している時よりもガラガラの時の方が発生しやすい。
これが13年間、同じアトラクションを見てきた僕の結論だ。
逆に、人が少ない状況だと、工夫する。少ない人数で作業を回すにはどうすればよいか、考える。より効率的になるのだ。
全部が全部、いい方向に向かうわけじゃないし、部署によってはだぶつき気味の方がいい効果を生む場合もあるものの、おおむね人数は少ない方が業務はメリハリが利くものだ。
やってる当人にすれば人手不足は追い込まれた状況で余裕がないと感じるが、実際はキビキビするので後で振り返ると決して悪くなかったと言える。
まあそれも、後から考えたらの話なので、遅刻する方がいい結果になるじゃん、という話ではないですよ。キャスト数には適正範囲がある。不足せず、逼迫せずの最良配置人数がね。
〜後日談〜
二回目の遅刻をしてしまい、意気消沈したその日の勤務の帰り。
ええ、もちろん買って帰りましたよ、目覚まし時計を。
その後、遅刻は交通遅延を除けば4〜5年に一回くらいの頻度で済んだので、あの時のF原さんのお説教が身にしみたのですね。
おっと、前回のつづきの辞めなかった理由まで辿り着けなかった!
実はこの時2回の遅刻をしたことこそ、僕がキャストを続けさせたモチベーションにつながっていくのです。