募集の張り紙が掲示されたのは、前の年の12月頃だ。
内容は、翌年の秋にオープンする新アトラクション「スプラッシュマウンテン」のキャストを募集する。希望者は、応募用紙に志望の動機等を書いて提出して下さい、と。
目次
応募用紙の通し番号は50番
応募用紙の配布が始まってからだいぶ日がたっていた。急がなければ。
応募用紙は運営部オフィスで配布していた。
運営部オフィスは、僕らが着替える場所、ワードローブビルの2階にあった。当時は出勤前に必ず立ち寄ることになっていたので、その際に申告。
「あの、スプラッシュの応募用紙はありますか」
と聞くと、
「はーい。今出しますね」
事務の女性キャストが、引き出しから取り出したA4サイズの用紙を渡してくれる。
用紙の右下の隅っこに通し番号が打ってあった。僕がもらった用紙は50番。
自分の前に、49人も希望しているのか。
募集人数は明らかにされなかった。つまり倍率がどのくらいか、全く予想できなかったのだ。
・志望の動機
・自分の長所、短所
・自己アピール
A4の用紙には記入欄が3つ。
そして、注意書きがある。
応募者多数の場合は審査の上選考します、とある。
ちなみに選考条件があり、
・週5勤務できること。
・全シフトに入れること。(早番遅番問わず、希望は聞けない)
・ワーキングリードからの推薦があること。
上二つはクリアできる。だが最後の項目は、どうやったらクリアできるのか分からない。推薦をもらう方法などあるのか?
事前にアピールする?それも違うような気がする。そもそもお願いして、行かせてもらえるものか?それすら分からない。
どれだけ応募してくるんだろう。分からないが、気合いを入れなきゃ受からないだろう。
リードからは、決めるのはスーパーバイザーだと聞かされていた。
マークトウェイン号からは、他に希望者が3人いることは分かっていた。
アドベンチャー/ウエスタンランド・エリアでは厳正な審査の上で決定するという。
後日談によると、トゥモロー/ファンタジーランド・エリアでは、何と抽選で選出されたとのことだった。
僕は当初、スプラッシュ・マウンテンへは行けない、と言われていた
1991年の年末頃、マークトウェイン号では専業キャストから新しいトレーナーを作る話が進んでいた。
既存のトレーナーが何人か退職予定だったし、翌春の新人育成に必要だったから今から準備を進めておこうというわけだ。
最有力なのは、春キャストの僕らである。
ちなみに僕と一緒に入った同期で、一年たっても残っていたのはほんの4、5人だったと記憶している。
事実、僕もリードから、年が明けてから何人かトレーナーに上げる予定で、キンちゃんもたぶんなるからよろしく、と言われていた。
スプラッシュに行かなければ、ほぼ間違いなく僕はトレーナーになっていただろう。それは同時に、トレーナーにする人材を手離すのは難しいことを意味する。
だから当時は、僕はスプラッシュマウンテンへ行けないのでは、とみんなから言われていた。
そりゃそうだ。既存のキャストが他のアトラクションへ出ていったら人手が不足する。
異動する条件にリードからの推薦があることが条件だが、必要な人材を手放すはずがない。かと言って不要な人材を送り出す訳にもいかない。
考えてみれば、選考は実に難しい。
リードからは、もしスプラッシュへ行けたらトレーナーはなしだな、とも言われた。ただ僕はトレーナー職など別に興味がなかったし、こんなつまらない日が続くくらいなら、他に行った方がずっとましだと考えていた。
★
書類を受け取ってから、さて何を書こうと思案する。
自己アピール。
とにかく目一杯アピールしなければ。
そう思った僕は、1つの回答欄に200文字くらいしか書き込めないにも関わらず枠をはみ出して書き込んだ。3つある記入欄の全ての項目で、枠をはみ出して書いた。それでも足りず、用紙の裏面まで使って通常の3倍くらい書いてやった。これだけ書けばやる気満々に見えるだろうとの魂胆だ。
当時から小説家を目指していた僕は、文章なら書き慣れていた(上手かどうかは別問題だ)。
いかに自分はやる気に満ちているか。どれだけ根気があって貢献できるか。何を書いたか手元に残っていないので(たぶんないと思う)再現できないが、相当恥ずかしい内容だったと思う。どんだけ気合い入れてんだよ、そんなにアピールしたら異動してから実績出すのが大変だろ、ってくらい。もう行けた後のことは全然考慮していなかったと思う。
マークから応募宣言をしていたのは自分以外に3人おり、そこに自分も加わり、4人が希望した。全員行くのは無理らしい、というのだけは知らされていた。
結果発表は、僕の残したメモによると、6月24日だ。
思えば応募したのが春前なので、ずいぶん選考に時間をかけたようだ。
そろそろ発表される、という噂を聞いても正式には知らされず、じりじりする日々を過ごしていたのを覚えている。
ある日、運営部オフィスへ行くと、いつもの勤務表(当日出勤するキャスト全員の氏名が記載された表)の横に、別の用紙があった。
そこに、合格者名が並んでいたのだ。
アドベンチャー/ウエスタンランドエリアから、20名分のアトラクション名と氏名が記載されていた。
自分の名前が、そこにあった。
僕をスプラッシュ・マウンテンへ行かせてくれたのは、あの人だった
後でリードから話を聞いたところ、やはり当初、僕は落選する予定だったようだ。リードは僕ら全員を推薦していた。後はSVが選ぶか否かにかかっていた。
では、なぜ選ばれたか。
当時のSVのある人が推してくれたらしい。
それは以前触れた、あの強面のツネさんだったのだ。
驚きのあまり、声が出なかった。
本来はカントリーベアシアターのベテランの女性が確定していたのだが、キャンセルになった。彼女は冷房に弱く、スプラッシュは館内での勤務になるため、体質的に無理だから辞退したそうだ。
一つ空きができて、そこで白羽の矢が立ったのが僕だったというわけ。
そしてどうやら、僕のアピール文が効果を発揮したようだ。
「お前のアピールの文章を読んで、やる気を買ったんだってさ」
とリードから言われた。やる気は出してみるものだ。
もう、ツネさんには感謝しかない、というわけ。
マークからの異動者は3人。W辺さん、S田さん、僕。
こうして僕の、スプラッシュマウンテンへの異動が決定した。
そこから約1ヶ月間、最後のマークトウェイン号での勤務を終えて、正式に異動となった。
■◆
最後の勤務を終えてから、マークトウェイン号のみんなが送別会を開いてくれた。
今は無き東野寮で行われた。
多くのマークキャストが集まってくれて、僕ら三人を送り出してくれた。
真ん中でネクタイしているのが僕ですね、はい。
今思い出した、これはスプラッシュの座学トレーニングが始まったタイミングで、勤務終了後の夜に行われたのだった。
会が進んで、僕ら三人が各自お別れの挨拶をすることになり、僕は自分がマークトウェイン号に来た頃に、こんなことを言われたなどの思い出を語った。
さりげなくDちゃんに言われたエピソードにも触れた。
あとでカンちゃんから「さっき言ってたトレーナーって誰?」と聞かれ、こっそり耳打ち。
「あー、彼は言いそうだよね」と納得してくれた。
Dちゃんは僕のすぐ近くにいますね(笑)。
僕の新天地への異動は、同時にキャスト人生においての、新たな困難への幕開けでもあった。