さあ、闘いに戻ろう。
今回は、僕がキャスト現役時に唯一、本気でぶん殴ってやろうと思った人をご紹介しよう。
目次
最も嫌われ憎まれた人
スプラッシュが始まってからの数年間において、最もキャスト達から嫌われ憎まれた人は誰かと言えば、間違いなくこの人だ。僕だけが嫌っていたのではなく、周りのほぼ全員から嫌われていたので間違いない。
怖いベテランキャストは何人もいたし、僕自身怒られたこともある。しかしこの人は別格だ。
僕は嫌なことはすぐ忘れてしまうようにしているので、めちゃめちゃムカついたことがあっても出来るだけ早く忘れようとしていた。
だから、今となっては、ただ怒りの痕跡のみが記憶の欠片として残されているだけだったりする。
いくら思い出そうとしてもその理由が思い出せないので、今回の話は僕が勝手に怒りに満ちているだけの、独りよがりな話になってしまっている。
笑顔待機モードが全く存在しない人
僕が初めて彼女の存在を知ったのは、まだマークトウェイン号にいた頃だ。パレードの勤務で顔を合わせたことがあった。
アトラクションキャストが他のアトラクションの人と交流する機会は、実はあまりない。個人的に知り合う以外で会話を交わす機会があるとすれば、パレードのヘルプに行った時くらいだった。
パレードのコントロール業務で行うのは、昼間のパレードがスタートするまでのルート作り、スタート後のルート上のモニタ、そして、終了後の後片付けである。
パレードルートの両脇にロープを張り、これから見ようと待ち受けるゲストへ告知をする。前の方で見たい方にはここがルートですよと案内をして、場所の確保をお願いする。
いくつかあるポジションのうち、パレードルートにロープを張ったり撤去を行う役目を、僕は担当することになった。
マークトウェイン号から来た数名と一緒だったが、その時は、人数調整のために僕一人が仲間外れになって、ルートのロープ張り担当に回された。まあジャンケンで負けたので仕方ない。
その日、ロープ張り担当に選ばれたのは、ほとんどがビッグサンダーのキャスト達だった。彼らは大型アトラクションだったので大人数。その中に僕一人が混じっていったのだ。
そこで、慣れない僕に任されたのが『プラグ』というポジションだった。
じゃあお願いします、と言われ、もう一人の人とペアになった。
プラグとは、地面に埋め込まれた樹脂製のフタのことだ。ロープを張る際に柱を立てる。柱は地面に開けた穴に差し込むが、普段はフタをしておかないと危険なので、プラグが埋め込まれている。
パレードルートにロープを張る際に、プラグを抜いて別の人が柱(スタンション)を差し込んでいく。そのフタを抜いたりはめ込んだりをするのが、僕の役目だ。
ペアになったその女性キャストは、やや年上の人で、僕は少し気になっていた。
何をかというと、彼女は完全な無表情だったのだ。
普通ディズニーキャストといえば、個人差はあれど大体笑顔を出すのが仕事のうちだ。何となく笑顔がデフォルトな雰囲気というか、いつでも瞬時に笑顔になれるものだ。
ある意味職業病とも言えるくらい、笑顔になるのが得意になる。
だから、たとえばバックステージに引っ込んでいて、ゲストが周りにいなかったとしても、またその時笑っていなくても、勤務時間中は笑顔の待機モードに入っている状態だ。
不意にゲストに話しかけられたら、次の瞬間満面の笑みを作り、振り向きざまに「はいこんにちは!」などと挨拶が飛び出てしまう。
それが習慣になっている。
笑顔待機モードとは、別に楽しいことがなくても、即座に笑顔を出せるよう備えているような、準備万端な雰囲気を常に手元に抱えているような状態と言えば分かるだろうか。
それがキャストというものだ、というのは、まだキャストになって2ヶ月くらいの僕にも肌感で理解することができていた。
ところが。
その女性キャストは、それが一切なかったのだ。笑顔がないだけならそれほど違和感はない。勤務中なら笑顔待機モードを維持しているので、その時真顔でも、瞬間的ににこやかな状態を作れるのが普通のキャストだから。
ところが。その人は、そういう『キャストなら誰でも身に付けているような雰囲気』が全く感じられなかったのだ。
拒絶感がとても強くて、うかつに話しかけられない雰囲気の人だった。
まいったな。
僕はそう感じながらも、挨拶した。
「よろしくお願いします」
無言だった彼女は、ようやく口を開いた。
「プラグやったことある?」
「いいえ」
僕は初めてに近かった。確かパレード参加は2回目くらいだったと思う。
「これを持って、私が2個ずつ渡すから、この中に入れて」
説明はそれだけ。
何を、どう渡すって?
そして彼女から渡されたのは、一つのトートバッグだ。
使い込まれたベージュのトートバッグは、中身が空っぽだった。とにかく僕は、それを肩にかけた。何をやるのか、さっぱり分かっていない。
彼女の胸元のネームタグを見て、そのローマ字だけを記憶に刻みつけた。
何も知らずに、僕らはホーンテッドマンションの裏手から出発した。オンステージへゾロゾロと、キャスト達が繰り出していった。
★
オンステージに出ると、いきなりパレードルートがそこにあった。パレードルートはホーンテッドマンションの脇から始まり、ウエスタンランドへ続いていく。
その始まりの部分から、僕の作業は始まった。僕らはルートの向かって右端を辿って、歩いていく。
彼女は地面に埋まったプラグを手で抜いて、僕に渡した。2個単位で渡してくれる。僕はそれを、トートバッグに入れていく。少し進んで地面のプラグを抜き、2個抜いたら僕に渡す。
こうやってどんどんルートを進み、やがてウエスタンランドの終端にたどり着く。シンデレラ城が間近に見える、広い大きな橋の手前まで来て、終端だ。その頃には、トートバッグの中はプラグで一杯になっていて、かなりの重量になっていた。
開けた穴には他のキャストがスタンションをはめ込み、それに続いて別の誰かがロープを張っていく。
こうしてパレードルートができ上がる。
パレード中はルートのモニタを行う。どこにいたかも覚えていない。
ロープの張られた箇所を、ゲストが飛び出したりしないか注意して見守るのだ。パレードが始まり、派手なフロートが進みダンサーやキャラクターが踊るのを間近で見送る。
やがてパレードが終わりに近づくと、再び僕らの出番だ。ルート脇からパレードの出発地点へ戻り、次の作業開始を待つ。
フロートの最後尾が出ていくのに合わせて、ルート脇のロープも撤去しなければならない。そこで、僕らの出番だ。
パレードの最後尾にはエンドロールの垂れ幕を持つダンサーがいた。横長の旗は、長いポールから垂れ下がっている。その両端を左右の手で交互に持ち替えながら、器用に踊る2名の女性ダンサー。
彼女らが通過すると、もう後には何もない。エンドロールが通過するのに合わせて、僕らはロープを撤去し、スタンションを抜き、プラグをはめ込む。
僕は彼女に言われた通り、トートバッグからプラグを2個ずつ取り出して重ねて彼女に渡した。パレードの過ぎ去るスピードはけっこう早く、それに合わせて歩く僕らは、撤去作業を遅れないようにテキパキと行う。
パレード最後尾がどんどん先に行ってしまい作業が遅れると、空っぽの空間ができあがり、ロープだけが残される。ここにゲストが入り込むと危険なので、絶対に最後尾に置いて行かれないようについていかないといけない。
僕はあたふたと、トートバッグから2個ずつ取り出していく。手さぐりでトートの中に手を突っ込み、丸っこいプラグをつかんで取り出し彼女に渡すのだ。
何とか遅れずに渡すことができた。
そうやってパレードの最後尾に食らいついて進み、ウエスタンランドの終わりの橋のところまで辿り着き、作業は終わった。
自分達の担当は橋の手前までで、その先は別のエリアの人達が引き続き行う。周囲のゲストの波が引くのを待ち、僕らはホーンテッドマンション脇まで戻っていった。
バックステージに戻ると、彼女は挨拶も「お疲れ様でした」などの言葉もなく去っていった。ビッグサンダーの集団に混じり、去っていった。
彼女と交わした言葉も必要最低限だけだった。別に仲良くなるつもりもなかったが、一言も挨拶がないままに去っていく彼女は、何とも言えない拒絶感を残していったのだった。
それ以来僕は、彼女に会うことはなかった。その存在も完全に忘れていたのだ。
スプラッシュに来るまでは、だ。
スプラッシュのトレーニング初日に、まさかの再会
そして、あの日。
スプラッシュマウンテンの異動選考を無事合格し、正式に異動する少し前のこと。
トレーニングの日程が発表された。僕ら異動組は6名ずつにグループ分けされて、一人のトレーナーからトレーニングを受けることになる。
一緒に受ける、他のメンバーの顔ぶれを確認する。確か運営部オフィスに異動メンバーの表が貼り出されていたと記憶している。
同じマークトウェイン号から異動する2人と僕は、別日程だ。
一緒になった僕のグループのメンバーは、全く知らない名前ばかり。3名はトゥモロー/ファンタジーエリアの人だったので知らなくて当然だな。残りの2名も1人は初めて見る名前。後の1人は…
その名前に、見覚えがあった。
あの人だ。
彼女もスプラッシュに来るのか。
トレーニング初日に顔合わせをした時、やはりあの人だったのか、とパレードの時のことを思い出した。
それが彼女、ロミさんとの出会いだった。
(つづく)