操舵室のキャストの職責に、アメリカ河の安全確保がある。
高い位置からだと河の様子がよく見える。
前方に接近しているカヌー、いかだはいないか。また水面に何か障害物が浮いていないかをモニタする。
出発前の船着場に停泊中のマークは、すぐ前方が3つの乗り物が交差する位置であり、接触のリスクがある地点。ここが安全と確認しなければならないのが、出航前の役割だ。
目次
操舵室のご案内は廃止されてよかったと思う理由
ネット上で、ディズニー関連サイトなどで蒸気船マークトウェイン号を検索すると、必ずと言っていいほど、操舵室に乗せてもらった話が出る。
船長室に入れてもらい操縦させてもらった、というサービスだ。
確かに以前は、そのサービスが存在した。
知るものぞ知る、隠れサービスだ。
僕も何度かゲストを操舵室に招いたことがある。
しかし現在はこのサービスは行っていない。ネットに情報があふれて広く知られるようになると、多くのゲストから依頼されて順番待ちが発生するようになったからだ。
船が一日に航行する回数は限られている。22時運営の日でも、42〜44周くらいしかできない。
限られたゲストにしか提供できないサービスは、きわめて成立しにくいのが実情だ。
いやそれよりもっと重要な理由がある。
本来操舵室のキャストは、安全確保という重要な職責があるからだ。
アメリカ河は一見広い。そして穏やかだ。
しかし常に安全だとは言い切れない。アメリカ河には他に、カヌーといかだが航行している。ちょうどマークトウェイン号の乗り場の先で、この3つのアトラクションが交差する地点がある。
ここで3つの乗り物は、お互いに道を譲り合う。うっかり接触することのないよう相互に安全確認を行うわけだ。
優先順位が最も高いのがカヌー。
次が蒸気船。
最後がいかだ。
どれかが進路上でバッティングする時は、優先順位の高いものが先に進む権利を有している。
マークトウェイン号とカヌーがぶつかる場合は、カヌーが優先的に進むことができる。
ここで動画をご覧いただきたい。
この動画の40秒目くらいからカヌーが見えてくる。
ちょうどマークトウェイン号が出航する直前なのだが、後方からカヌーがやって来る。
船はしばらく動かない。これはカヌーが完全に通過するまで待っているためだ。カヌーが前方へ進み、船から充分遠ざかったら、マークトウェイン号が出発できる。
このように、操舵室のキャストは常に航行の安全確保を行うという重要な職責がある。
ところが、ゲストを操舵室に招くと、ゲスト対応をしなければならない。
つまり、安全確保が疎かになる恐れがあるのだ。
一瞬たりとも目が離せないわけではないし、最も危険性のあるいかだ乗り場前後ではゲストを招かないので、なんとかなると言えば、なる。
ただ他にも、航行途中でカヌーが接近することもあれば、カヌーに乗ったゲストがうっかり落としたパドルが水面に浮いていることもある。
パドルが外輪に巻き込まれると、勢いで跳ね飛ばされて、船内へ飛んでくることだって考えられる。
操舵室内でのゲスト対応は、途中で交代のキャストが来て手伝ってくれるけど、船着場に戻る前に離れてしまう。
だから安全確認にスキができるのは否定できない。
その意味においては、このサービスがなくなったのは結果としてよかったと思っている。
スピードの遅いカヌーが危険と感じたら、船は止めないといけない
デビューから2ヶ月ほどたったある日。
僕が操舵室にいて、これから出航というタイミングで、カヌーがのろのろと横を抜けていく時があった。
カヌーが完全に船の脇を通過していくのを確認し、僕は出発の合図を出した。
蒸気船がゆっくりと動き出す。徐々に速度を上げて、いかだ乗り場へ差しかかる。
ところが、カヌーはあまり速度を上げずにのろのろしていた。
蒸気船とカヌーでは、断然カヌーの方がスピードは速い。通常このタイミングなら、カヌーはどんどん先へ行ってしまうはずだった。
カヌーが遅くなるのにはいくつかの理由がある。
ちょうど向かい風でなかなか前進できない。河の流れが乱れている位置があり、そこにハマった。あるいは乗っているゲストたちが漕いでくれない、または全員の漕ぎ方がバラバラで推進力になっていない時など。
いずれにせよ、このカヌーの速度では安全圏へ遠ざかるのは難しい。接触の恐れがある。
さてどうするか。
このままでは、マークトウェイン号を止めるしかない。
しかし船はいかだ乗り場に差しかかる手前で、カヌーも決して致命的に遅いわけじゃない。このペースならすぐ加速するんじゃないか……?
と、ちょっとじりじりしながら僕は前方に釘付けになっていた。
陸側のいかだ乗り場に接岸した、いかだの縁のところに男性キャストが立っていて、こちらを見上げている。
いやでもその姿に気が付いた。
彼がおもむろに、腰の無線機を手に取り口元に持っていくのが見えた。
あ、これは僕に連絡しようとしているな、とすぐに気付く。
予想通り、彼は船を見上げながら僕の持つ無線機の番号を呼び出して語りかけてきた。
「前方のカヌーは確認できてますでしょうか、どうぞ」
「確認できてます、どうぞ」
予期していた僕は、あらかじめ自分が持つ無線機を取り上げ、口元に構えて待ち、呼びかけに応答する。
ちぇっ、いかだから催促されちゃ、無視できないな。
というわけで、僕は停船の合図を出す。
合図は1階のメンテさんへ。ストップして下さいという合図だ。
船体後部の外輪の、勢いよく水をかき出す豪快なザッザッザッという音が、ピタリと止んだ。
船内はBGMとナレーションが流れるだけ。駆動音が鳴り止み、不思議と静かな時間が訪れる。
船体は加速をやめて、フワッと減速する。
30秒ほど、時間が止まったかのように船はその場ではぼ停止した。
もちろん僕が船を意図的に止めたのはこの時が始めてだし、こんな事はめったにあるものではない。
僕は内心、ドキドキしながら成り行きを見守っていた。
カヌーの行方を目で追うと、少しずつスピードを上げていかだ乗り場を通過し、遠ざかっていった。
いかだに乗った小柄な男性キャストが、両腕で大きなマルを作り、こちらの方へ向けて見せる。
その人の、顔と名前だけは知っていた。いかだのリードのJBさんだ。
充分にカヌーが離れていき、僕は再開の合図をメンテさんへ送る。
再び力強く動き出す外輪。
前進し始める船。
少し進むと、この当時、トムソーヤ島の中にあったカヌー乗り場が見えてくる。
カヌー乗り場に差し掛かると、カヌーのリードがこちらを見上げて両手を合わせ、頭を下げつつ平謝りしているのが見えた。
マークトウェイン号の進行を邪魔しちゃってゴメンね、という意味だ。
僕は船の窓から、敬礼を返す。
1周して船着場に戻ると、リードのF原さんが親指を立ててドックで出迎えてくれた。
「ナイス、キンちゃん。よく気がついてくれたね」
うーん、自分としてはもう少し様子を見てから止めようと思ったので微妙ですね……。
まだまだ僕は、半人前だ。