【舞浜戦記第2章】 風紀委員長:スプラッシュ・マウンテン033

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舞浜戦記スプラッシュ033
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自分が何ら秀でる部分もなく、リード達からも特別に評価されることもなく、僕は何を目標にしていけばいいのか分からなくなった。
そしてキャストという仕事に完全に落胆し、失望し、そして何も信じられなくなり……

……

と、いうことは全然なく、むしろ平然としていた(笑)。

いや、正しくは開き直っていた、といえばいいのだろうか。
そっちがその気ならこっちだってこんな気になるぜ。
こんな気じゃなくて本気?
いや、能天気?
ある意味、狂気かもしれない。

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優秀な人もそうでない人もいるのが組織というもの

一つのアトラクションでは、トレーナーの人数には定数があった。
準社員就業規定のようなものがあって、そこに記載されているかは知らないが、大まかに言って、所属人数の10分の1くらいの割合ではないかと思う。

でも、僕がマークトウェイン号にいた時期は、キャスト数が50名くらいだったのにトレーナーは7名もいた。
うーん、アトラクションによるのかもしれない。

スプラッシュマウンテンにおけるトレーナーの適正人数は10名。
これは、人件費の予算がトレーナー枠を10名に限定しているということ。

だから、11人目以降はキャストの時給でトレーナーをやらされる。しかも、給与面の昇格には時期が決められている。
昇給のタイミングは半年おきにやってくる。その時期を過ぎた後の給与支給時に、初めて時給が反映される。タイミングが悪いと、半年近くは通常のキャストの時給でトレーナー職をやらされることもある。

それどころか、定数の枠から外れた人は、半年どころかいつまでたっても昇給できなかったと聞く。それが不満でトレーナーを降りたり、退職した人もいた。

そうまでして頑張ってやる仕事じゃないし。
適当に楽しくお金を稼いで、そのうち辞めることになるんだろう。

冷静に考えてみよう。
リード達から高い評価を得られないなら、かえって好都合だ。

魅力的なキャストは、個性的な自分だけのワザを持っていたように思う。

個性のないキャストは、機械的で非礼儀的で、非誠実で、サービス精神がなくて、非ディズニー的な、無価値なキャストだ。

逆に、個性のあるキャストこそゲストのために尽くせる人であり、本当にゲストのことを考えている人だ。

実際、個性的なキャストは常にゲストを楽しませていたし、サービス精神旺盛な人達ばかりだった。
そして個性とは、何かの能力に秀でているというよりは、普通と違う異質さだと感じていた。

次第に自分の中に、理想のキャスト像が見えてきた。
僕らはみんながみんな、才能ある人じゃない。この仕事が得意な人も、苦手な人もいる。それぞれが、ベストを尽くして頑張ればいいのだ。

自分には到底敵わないような、すごい人を目指さなくてもいい。

団体スポーツのようなものだ。
野球なら4番打者がいて下位打者がいる。別に主役と脇役ってわけじゃなくて、それぞれが別の役割を持っている。

個性があれば、そこに優劣のランキングを持ち込まなくてもよくなる。優秀な人も、そうじゃない人もいる。
組織ってそういうものなんじゃないか?

組織の中における個人の立ち位置を、僕は意識しながら日々の勤務に臨むようになった。
みんながみんな、優れていなくてもいい。優れていないから駄目ってわけでもない。

マサカズさんがつけてくれた僕の”役職”

大人気のリード、マサカズさんのおしゃべりは、今日も絶好調だ。

日常のあらゆるネタを話題にして、毎日僕らを笑わせた。彼がリードとして勤務している日は、職場がパッと明るくなったようだ。

ある日の朝礼か終礼の時。
彼はいろんな人にネタ振りをする。ある話題で盛り上がった直後に、突然その場にいる誰かにネタを振ってくる。イジり芸だ。

たまに僕にも何かのネタが飛んできた。彼にネタを振られたら、きちんと返さないといけない。うまく返せないと、それ自体が彼のネタにされてしまう。

突然彼は、僕に話を振ってきた。

「お前さ、学校で係とかやってた?
「えっ?」
「係だよ。何々委員長とか、あるだろ」
「あー、まあ、そうですね……」
と、僕がまともに返すかふざけるか、を考えあぐねていると、

「じゃあお前は今日から風紀委員長な。みんなの風紀が乱れてたら、お前が指導するんだぞ
「ええ?」
「みんな、委員長の言うことを聞くんだぞ。聞かないと怒られるからな」

二十数名が集合した室内を、微妙な空気が流れる(笑)。
だが、彼の言うことにはみんな逆らえない。

それから2〜3日の間、たびたび僕の委員長ネタは繰り返された。折りに触れ、彼は僕につけた役職で呼んだ。
それを聞いたマサカズさんを敬愛する一部の人達は、僕のことを「風紀委員長」と呼んだ。

それから数ヶ月の間、僕の呼び名は風紀委員長ということになり、特に仲のいい人達からは必ずそう呼ばれることになった。

最初にネタを振られた時にその場にいなかった人は、なんで僕が風紀委員長なのか、さっぱり理解できなかったようで、
「なんで風紀委員長って呼ばれてるんですか?」
と質問されるわけで。
僕は、
「何だかそういうことになったみたい」
苦笑いするしかない。

それから少し後で、マサカズさんが異動する日がやってくる。
彼がスプラッシュを去るのに合わせて、その呼び名は自然と消滅していった。

やがて、僕の風紀委員長の称号は、永久に封印された。

それからずっと後まで、「風紀委員長」はただのネタとしか思っていなかった。

本当にただのネタだったのか。
もちろん、ふざけて付けただけかもしれない。あの後一度も彼に会っていないし、直接本人に聞いてみたわけでもないので真相は分からない。

でも、ひょっとして。
僕がトレーナーの「役職」を得られなかった代わりに、彼は僕に何らかの役割を持たせたかったのではないか?と、ふと考えたりするのだ。

役割を持てば、責務が生まれる。
責務があれば、それに伴う使命感が生まれる。
使命感は、行動につながり、やがて評価に結びつく。

考え過ぎかもしれない。
でも、彼の人気の理由は、こんなところまで考えてくれるような人だからだと思っている。ただの面白い上司として見ていたら気づけないが、彼は配慮の達人だった。

当時の僕は、なんで彼がそんなネタを振ってきたのか、深く考えなかった。
実はあれは、彼の気遣いだったのではないか?

そして振り返ってみると、結果として僕の『不足していた要素』を埋め合わせるかのように作用していたのではないか。

それが直接の理由ではないけど、僕は少しずつ、吹っ切れたような心境になっていた。
誰かに評価されようとか認められたいと考えることに価値などない。いくら他人から尊敬されても、自分が納得できていないのなら、それに価値はない。

変な言い方かもしれないが、この頃の僕は、モラトリアムなキャストになっていたのではないかと思う。
一般キャストから頭一つ抜け出ることもなく役職のない、「猶予」を与えられた期間。

トレーナーやリードのように、責任感を背負わされている役職から解放された状態。
ローテーションで各ポジションを順番に担当するだけの、精密機械の部品のようにきちんきちんと動く歯車の立場。

僕は、大勢の人を押しのけて目立ち、活躍する人ではない。
優秀な人ではなく、その他大勢の、目立つこともないただのキャストとして勤務する毎日。
ここで僕は、何らかのプレッシャーから解放されたのだと思う。

悠々と、自分が考えるキャストの理想像を追求できる、ある程度の自由度を持って動ける人になったのだ。

厳しいキャストの就業規則とディズニールックとアトラクションの職責に、がんじがらめにされながらも、誰にも邪魔されない立ち位置を確保していたのだ。

僕はあらゆる意味で、自由だった。
解放されていたのだ。

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あっくんさん

あっくんさん

元TDLにてアトラクションキャスト勤務を経験した十数年間を回想する場。このブログはそんな僕の、やすらぎの郷でございます(笑)。

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