【鬼滅の刃】いつまで日本の映画はまぐれあたりを期待するつもりか?【邦画】

煉獄杏寿郎

鬼滅の刃、現在大ヒットしているようですね。

実にめでたいことです。
コロナ禍でエンタメ産業は壊滅状態。ネットコンテンツは破竹の進撃を続けていますが、映画産業が元気を失っているのは見るに忍びないですから。

その勢いをかって、思わず鬼滅の刃・無限列車編をDVDで購入してしまいました。

しかし私は少し懸念しています。

今回の本作ヒットに、日本の映像コンテンツの隆盛を感じることができないからです。本作の興行収入記録は素晴らしいことですが、それ自体が全体を盛り立てる役目を果たしていないと考えるからです。

なぜなら、本作は意図してヒットさせたわけではなく、たまたま当たってしまったタイプの作り方をしているからです。

こんな制作を続けている限り日本のコンテンツ産業はやがて衰退しますよ(または別の勢力に完全にやられますよ)。

どういうことか?
それを解説しましょう。

まず本作について説明します。内容は多少ネタバレしますので気にする方は読まないでください。

【劇場版「鬼滅の刃」無限列車編】は完全に原作ファンのための作品だ

★ネタバレしますので、ご注意下さい★

現状のテレビシリーズ・第1シーズンと現在制作中の第2シーズンとの隙間を埋める作品。
本作の成り立ちは、まず原作漫画があり、冒頭から8巻までのエピソードをテレビシリーズで全26話構成でアニメ化、その続きとなるのが本作。

テレビシリーズは第一シーズン(次回のテレビシリーズを現在制作中)であり、Amazon prime videoなどで視聴可能だ。
当シーズンの最終話において、主人公炭治郎は指令を受けて同じく鬼殺隊の善逸、猪之助と共に無限列車へ乗り込む。

ここでシリーズは幕を閉じる。

映画版で、炭治郎達が初めて登場するシーンは、そのテレビシリーズの完全な続きとして幕が開ける。
(映画版の最初のシーンはお館様の墓参りから始まる)

つまりこの映画版は、テレビシリーズの完璧な続きとして始まるのだ。まるでテレビシリーズの第27話が始まったかのように。

これは何を意味するか。
この映画版作品は、今まで鬼滅の刃を見たことのない人は、主人公や他の登場人物が何者か、全く説明のないまま物語が始まるということだ。

もし、未見の人が突然この映画を見始めたらどう思うだろうか。

DVDで見始めた自分は原作を全巻読了済であり、またテレビシリーズも視聴済みだ。従って作品の内容を把握できており、彼らの次の冒険が無限列車から始まることを知っているため安心して見ることができる。いわば再放送を見る気分とでも言おうか。

もし未見だったら?
この主人公達はどういう人なのか。
どこへ行こうとしているのか。
いつの時代なのか。

なぜ、なぜ、と疑問が多過ぎてついていけないかもしれない。特に外国人の観客ならなおさら。入り込むのに相当の時間と想像力を要する。

見方を変えれば、原作ファンに対しては非常に真摯な作り方をしていると言える。原作ファンを裏切らない構成だからだ。

映画は、中身をよく知らない人々が気まぐれで見始める形式の娯楽だ。映画館へ行き、何を観ようかと迷い、気に入ったら中へ入り、着席し、上映開始を待つ。
もちろんソフトを販売したりネット経由で視聴も可能だが、何も知らない状態でいきなり購入する人はごく少数だ。

とこが、映画館へ行った人は、突然見ることもある。

映画が始まったと思ったら、突然列車が走り出し、炭治郎達がなぜか乗り込むのだ。
なんで列車?
なんで彼らが?
なんで急ぐの?
なんで?

初めて見る人にとって、全然内容が分からない状態でストーリーが進む。
そういうタイプの作品があるのは観客も知っている。だが状況が分からない中でもストーリーを追いかけるのは非常に負担だ。

最悪の場合、面白さが理解できる前に映画館を出ていってしまうかも知れない。

ただし、原作を知り抜いている方、テレビ第一シーズンを見ている方にとってはこの上ない理想的環境だ。
第26話のつづきを、そのまま見ることができるからだ。何の予備知識も必要ない。そのまま映画館へ行くだけだ。

そして、見終わった時、自分が知っている鬼滅の刃が完璧に再現されている。満足感は最高だろう。

何も足さない、何も引かない。昔流れていたウイスキーのテレビCMのコピーそのままだ。

これほど原作ファンを大事にした作品は珍しいくらいだ。
本作は原作ファンのみに向けて作られたということだろう。ターゲットは原作の漫画を読んだことのある人、だ。

ファンを優先した作品作り。
初めて映画で本作を知る人は、ターゲットの対象外と言ってもいい。

これは、完全に内向きの作り方だ。

新規顧客はいらない。
(いや欲しいといえば欲しいけど、既存のファンを失うくらいならいっそ新しくファンを増やす必要はない)

そんな、超内向的な作り方をしているという態度が、映画版の全体に満ち溢れている。

下手に内容を作り変えて原作ファンを失望させるくらいなら、ガチガチに原作どおりに作っておけば、少なくとも漫画のファン達の離脱を防げるはず。

ここは冒険しちゃだめだ。手堅く行こう。それが、本作の制作者の意思なのだ。

原作ファンを優先した完璧な作品だが、それでいいの?

ストレートに言うと、ファン以外の人は相手にしない方式。

一見さんお断りの店のようだ。実際に映画館で鬼滅の刃を知らない人を排除するわけではないが、内容を見れば知らない人への気遣いはほぼ、ゼロだ。

これは、完全に「守り」の商売だ。

ハリウッドの映画制作では、これはありえない。
米国作品は、どこの国の人が見ても分かるように筋立てが組み立てられているし、意味も分かるように配慮がなされている。例外的作品もあるようだが、伝統的に単純さを可能な限り盛り込む。これは世界市場を前提に制作されるのだから当然だろう。

ハリウッドが最高だと言うつもりはないが、少なくとも映画産業をビジネスとして捉えるなら、より多くの人々へ作品を届けることを目的とするのは当然のことだ。

何言ってんの、海外では現在、鬼滅の刃が大好評で興行収入第一位を記録しているんだよ、どういうこと?と思われたかもしれない。

考えられるのは、

・外国でもネット上でテレビシリーズが見られるので、作品をすでに知っている人々が見に行った
・たまたま映画館へ行き、見たら面白かった
・鬼滅の刃を知っている家族や周りの人から勧められて見に行った
・映画関係者がこぞって褒めていたので見に行った
・プロモーションが上手だった

などであろうか。

テレビシリーズをプライム・ビデオ見放題にしてあるのも知名度を上げた一因であろうし、それが狙いだったかもしれない。

断っておくが、原作ファンを大事にしたらヒットしない、という意味ではない。

一部の熱狂的なファンのためだけに作品を作る。それも悪くないし、ありだ。
しかし、鬼滅の刃はそのようなマニアックな作品では、ない。

多くの人へ作品を届け、より多くの収益を上げるよう使命を与えられた作品なのだ。
完全な、娯楽のための作品。エンタメ作品なのである。

それが、このような内向きな作り方をするのは不自然だし、やってはならないことだと思う。

それでもなお、海外で一定の評価は得られているようなので、決して無駄ではなかっただろう。
ほどほどの売上を果たして満足しているだけでは、作品単独の成果としては及第点だろうが、それ以上の成果を求められているのが本作なのだ。

世界歴代興行収入・日本アニメ映画ランキングで千と千尋の神隠しを抜いて第一位に躍り出たのだから、大成功どころか歴史に残る金字塔を打ち建てたと言えるだろう。
しかしそれでも。
それでもなお、本作にはもっと偉大な使命が与えられていたのだ。

でないと、優秀な漫画や小説原作がなければ商売が成り立たない、他プラットフォームに依存しないと新作を作れない状態から脱却できないままだ。これでは、漫画や小説が没落したら一緒に消えていくしかなくなる。

まあおそらくないだろうが、他からコンテンツを輸入するしかない、原作依存の構造になってしまう。

これは、非常にまずい。
何がまずいか?

仮にNetflixのような巨大企業が大金をチラつかせてコンテンツ保持者を訪れれば、もはや国内の映像産業には太刀打ち出来なくなる時代がやって来るということだ。

原作者の立場になってみると明らかだ。

今、漫画原作を映画化しても、原作者は大した金額を受け取れないことは周知の事実だ。
もしネット映像企業があなたの原作に10億円払いますよ、と言われたらどうするか。言うまでもない。

世界市場をターゲットに映像化作品が制作されるなら、原作料として全然妥当な金額であり、首を縦に振らない原作者はいないだろう。

優秀な日本のコンテンツ制作者たちが、バンバン名作を作るけど、どれも資本は海外の企業であり、日本の作品としてではなく外国作品として世界中を賑わせる。
ま、どこの国で作られようが、面白い作品が楽しめれば全然構わない、とファンは思うでしょうが……。

極端すぎるだろうか。
そうは思わない。世界規模で映像コンテンツを作ってヒットさせれば、数億円単位の原作料を払っても十分ペイするだろう。

その流れを阻止する動きを、国内の原作を所有する出版社などが行ったとしても、おそらく歯止めをかけることは困難になる日が来るだろう。なんとなれば、Amazonやネトフリなどが漫画の出版事業を完全ネット上でのみ行うことだって不可能ではない。
そうなったら、(報酬額が桁違いに大きい)世界企業が、日本の才能も人材もノウハウも全てかっさらっていくことだってありえなくない。

そんな時代がもう間近に、背後に迫っている。