原作をただ忠実に映像化した映画やドラマなど、いらない理由【説明します】

映画館

原作がある作品をドラマ化・映画化する際に、監督や脚本家、他の制作者は最もクオリティの高い作品を作ろうと努力すると思います。

最もクオリティの高い作品とは何でしょう。
最初に思いつくのは、「原作に忠実に作られた映像」というもの。

静止画としての漫画、文字だけの小説を、原作どおりに忠実に、完璧に再現する。

最も原作に近い映像に仕上げる。

それなら、誰が見ても完璧ですよね。

しかし、あえて言わせていただく。
原作を極限まで忠実に映像化するのは、かえって原作に対して失礼なのでは、と。

ただ原作を完璧に映像として再現しただけの作品は、もういらない。

その理由を説明します。

 

原作ファンがいるメリットは知名度があること

原作には、それぞれ固定ファンがいます。

彼らは原作を愛し、原作の世界観を壊されることを、何よりも恐れます。

もちろん原作者本人も、映像化にともない、作品の悪いイメージが作られてしまうことを、懸念しています。

映像作品の制作者は、そんな原作者やファン達を失望させないよう、慎重に作品作りを行います。
と同時に、動かない原作を動かしたらどれだけ魅力的になるだろう、それを実現するのだ、という気概を持って制作に取り組みます。

原作、たとえば漫画の原作がアニメ化されるとします。
テレビで、連続アニメが企画されて放送枠が確定し、製作発表が行われます。

最初に注目するのは原作ファンです。
彼らは自分が愛する作品が映像化されることを喜び、または畏れます。
喜びは、静画だった漫画が動き出し、声優が声が乗せること。

自分のイメージが想像どおりになるのか、裏切られるのか。
楽しみであると同時に心配します。

その心境を仲間と分かち合うために、SNSで語り合います。
話題は膨れ上がり、周辺で観察していたその他の人々を巻き込み始めます。

すると、やや関心があった層が注目し始め、あまり関心がなかった層も取り込み始めます。

作品によりますが、まだこの段階では、バズまでいきません。
小さな話題くらいですね。

やがて初回放送が行われます。

原作ファンの期待以上だった場合、彼らは歓喜し、話題を加速させます。
回を追うごとにそれは大きくなり台風のように成長していきます。

順調に行けば、中盤くらいで無関心だった層まで巻き込みます。元々関心がない人々も、なんか盛り上がってるな、と感じ始めます。
これが、いわゆるバズですね。

つまり、原作ファンは、ただ番宣した以上の評判を作り出し、視聴率を底上げするパワーを秘めているのです。

デメリットは原作の既存イメージとのギャップが生まれること

デメリットは何でしょうか。
彼ら原作ファンの期待を裏切ってしまうことですね。

漫画より画のクオリティが低かった。動かすと予想以上に元の画質が落ちる。デッサンが崩れてしまい、下手な素人が描いたようだ。動きがぎこちない。動きが平坦で面白みがない。

声優のキャスティングがイメージを損なう。声優本人の演技力ではなく、イメージに合わない人を配役している。

期待していたのに、予想外にイメージが崩れてしまった。
こんな時、映像化しなきゃよかったのに、と原作ファンはがっかりします。

さらに、回を重ねるに連れ、原作とストーリー展開の違いが発生した。違う設定、オリジナルキャラの登場が、どんどん原作とかけ離れてしまう事態になったり。

様々な理由により、原作の魅力が失われるどころか、破壊している場合すらあるかも……

そんな悲劇を目の当たりにして、原作ファンは、SNSにその悲惨な災害状況を訴えかけるかもしれません。そうなったら、もはや魅力を伝えるどころか、ファン以外の方は見ようとしないでしょう。
あまりにひどすぎたら、逆にそれがネタになり、見る人が増えるかもしれませんが。

最も安全なのは、原作に忠実に作ることだが…

以上のような事態を防ぐためには、どうすればいいのでしょうか。
原作を完璧に忠実に映像化することですね。

絵柄はもちろんのこと、声優のキャスティングから設定、ストーリーなどを忠実に再現するのです。

尺の長さも重要です。連載回数と原作の話数も揃えて、中途半端な箇所で終了しないように配慮する。

そして、それはそれほど難しいことではない。少なくとも、プロの手にかかれば不可能ではないと思います。

問題は、それが最善策なのか?ということです。

確かに、原作ファンは大満足でしょう。忠実に作られた原作そのままの映像作品にするのですから。

しかし、それで満足するとしたら、映像化することに意味はあるのでしょうか。

視聴者にとってはどうでしょう。
原作を知らなかった人達が、新たな作品の存在を知り、原作にハマれば成功と言えるかもしれません。

映像化は、リスクです。
元々いたファン達の不評を買う危険性を抱え込んで、あえて作るのですから。

なぜ制作するのか。

映像産業ビジネスであることは無論ですが、それ以上の価値を作り出す可能性があるからです。

映像化すれば、より多くの人々を魅了しファンを増やすこともできる。より大勢の人達へ感動を体験させることができる。

だからこそ、あえてリスクを冒しても制作するのです。

映像化作品が、原作を超えることはできるのか?

原作ありの映像作品は、ファンの存在をうまく利用することで影響力を高めることが可能です。

また同時に、その影響力が足かせになる場合もあります。

本来、原作作品を映像化するのは、原作に魅力があるからです。
その魅力を映像化することで存分に楽しんでもらいたい。その思いから企画が始動するのです。

ところで、映像化することで、原作を超えることはできないのでしょうか?
今までお話したことは、どれも映像は原作を超えられない、を前提にしています。

作るのは映像のプロたちです。
原作を超えることができないと断定するのは、いささか軽率てすね。

映像のプロはあらゆる技巧を用いて動く画の効果を表現し、最高に感動する作品を作り上げます。技量の高低はあるものの、専門家を集め予算を組み、ベストな条件で現物を完成させます。

原作を超えたと言えるのは、どのような時でしょう。

原作は佳作だったが、映像化したら神作品になった
原作が傑作で、クオリティを落とさず名作を忠実に再現した

 

そこで思い出すのは、宮崎駿監督です。

彼は、ほとんどの人が知らなかった原作を取り上げて、自分の世界観を作り出し、作品に盛り込んで、見事な名作に昇格させるという、達人芸を見せてくれます。

created by Rinker
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社

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まあ、ルパンは日本人なら、知らない方はいないでしょうが。

それ以外は、宮崎駿監督が制作するまで、原作の存在を知らなかった方がほとんどだと思います。

知っていたら、かなりのマニアでしょう。

 

それでいて、映像作品の素晴らしい魅力により、大勢の人々が作品を楽しみ、また魅了されたと思います。

ここから言えることは、原作を下敷きにして、制作者のオリジナルの魅力を付け加えていく。

最終的に完成作品のクオリティが高くなって、はじめて「原作を超えた」と表現するようですね。

映像製作者は、常に原作を超える映像を作ることを目指すべき

映像化スタッフは、持てる限りの条件で最高の作品を作るよう努力します。

条件が整い、高評価を得るに足る作品が完成したら。

奇跡は起きるかもしれません。
いや、奇跡ではなく、それを常識にするのがプロと言うもの。

原作に忠実に制作すれば、100点満点は無理でも95点は取れそうです。少なくともファンからガッカリされることはないでしょう。

しかし、それでいいのでしょうか?

映像のプロ達は、自分達の仕事が無限大に可能性を秘めていることを信じています。
自分達の力で、映像エンタメの魅了を知らしめるために日夜頑張っています。

そんな彼らが、ただ原作をコピーしたような、絵を動かすだけの存在でいて、満足でしょうか?
そんなはずはありません。彼らは、ただの紙芝居屋ではありませんからね。

プライドと意地をかけてでも、優れた作品を生み出そうとベストを尽くしています。

だから。あえて言いたい。

原作を超えることが、原作に対する最善の礼儀であり、恩返しだと。

原作を映像化するとき、常に原作を超えるように努める。
原作と同じレベルの作品を作るのではなく。

ということは、最初から原作を忠実になぞるだけでは、むしろ失礼に当たると思います。

たとえ、原作者が「完璧に同じものを作って欲しい」と言ったとしても。
少しでも異なる箇所を許さないとしても、です。

原作者が自分の創作物を汚さないよう、またファンを落胆させないようにと考えるのは自然なこと。他者によってオリジナルからかけ離れた作品になるのを、恐れ、嫌います。
当然ですね。

でも、反面、自分より優れた作品になるのを、わずかでも期待しているはずです。
自分には作れない、映像化バージョンをどこかで期待しているものです。

でなければ、そもそも映像化を許可しないはずですから。

 

逆に、原作と完璧に同じものができるなら、
むしろ「自分が作った方がいい」と感じるはず。

それを他人に任せるのですから、個人差はあれど、
自分よりうまく作れる人がいるかも」と信じて作品を託すのです。

託された映像屋は、全力でその期待に応えます。

原作以上の作品にするために。
だから、忠実に同じだけでは、かえって失礼に当たるのです。