なぜ時代劇は勧善懲悪ものばかりなのか

こんにちは!

今回は毛色を変えて、時代劇についてです。

いやね、ちょっと次に書く脚本のネタを色々考えていまして。

ある職業を題材にした物語を時代劇でやったら面白いんじゃないかと思って、しばらく考えていたんですけど。

 

 

 

・・・そういうのって、受けない。

んですよね、実際。

なぜかって? 時代劇は勧善懲悪もの、と決まっているんですよ、昔っから。

そこでその理由を考えてみました。

 

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時代劇で人気が出る理由

 

人気あるなしの評価基準として、視聴率が取れるか否かだけで判断するのは早計です。でも、人気のバロメーターとしては重要な一要素ですから無視はできません。

息の長い娯楽としての時代劇

それこそ江戸時代まで遡れば、歌舞伎を始めとして主要エンタメの一つとして舞台演劇が人気を博してきました。

歌舞伎が生まれた時代にとってはその当時を描いたストーリーですが、今に受け継がれてそれが時代劇へと変化したわけです。

つまり、時代劇は、昔の人にとっての現代劇なわけです。

時代劇のエンタメ成分分析

観劇するお客さんは、物語の中に含まれる刺激的な要素に強く引きつけられます。

主人公が生きるか死ぬかの瀬戸際で頑張る姿をみて、思わず手に汗握る。死にそうになると主人公を応援したくなる。これこそエンタメの主要成分であり、観客を呼ぶ大きな理由の一つになります。

刺激の強い物語ほど、人気が出るわけで、制作者だって当然、刺激的要素が多く含まれるお話を作ろうとします。

ところで現代もののストーリーで、生きるか死ぬかのお話といったらどういうジャンルがありますかね?

  • 難病もの
  • ヤクザもの
  • 冒険もの
  • 警察もの

こんなところでしょうか。平和な国日本で生きるか死ぬかなんて、日常生活ではあまり起こりえませんから、自然とジャンルは限られてきます。種類が少なければ似たような物語が量産されるわけで、そりゃマンネリにもなるわけで。

ところが、江戸時代の設定で話を作ると、けっこう命がけなイベントはたくさんあります。

病気になっても医者にかかれない。武士に逆らえば斬り捨てられるかもしれない。お上に逆らえば死刑になるかも。好きな人と一緒になりたいというだけなのに身分の違いで絶対許されないし、駆け落ちするなら死を覚悟しなければならなかったし。

子供の致死率だって今より遥かに高かったですし。

そう考えると、時代劇の設定だと、命がけな条件が色々と使えるんです。つまり、刺激的な要素をごく自然に設定できる。

だからこそ、面白くしようとすれば、場合によっては現代劇よりずっと面白くできる。

 

時代劇が不利な条件

も、もちろんあります。

現代劇なら、車に乗って移動できるしカーアクションだってできるし。携帯やスマホで新しい事実を告げてドラマチックに盛り上げることだってできる。

昔の生活はシンプルでしたから、たとえば夜遊びを描くとしたら、必然的に吉原とかの女郎街みたいな場所を登場させるしかなかったり。割りと制限があるんです。

ここらへんの条件は、撮影上の制約も絡んできます。オリジナリティのある場所を作ると当然別にセットを組む必要がありますが、そんな予算がなければ、時代劇用のスタジオにある既存のセットを使うしかなく、見たことのない背景を出すなんて実現しづらいわけです。

こう考えると、時代劇も現代劇も、それぞれ有利不利な面はありますね。

どっちが面白くできるか、の決定的な理由にはなりえないかな、と。

では、なぜ時代劇は単調な物語が好まれるのか?

 

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リスクを取れない時代劇は、自然と人気取りに走らざるを得ない

制作するのに現代劇以上の予算がかかるなら、失敗が許されない度合いが高まります。

当然ですが、エンタメ度の高い要素を盛り込みます。スリリングなアクションや設定。チャンバラを多用。誰もがよく知る歴史上の人物を主役にしたり、脇役に登場させたり。さらに近年、時代劇に現代的要素を取り込んだ設定を用いる。→例:『‐JIN‐』では現代の医師の医療技術を江戸時代に持ち込んで人気を博したのが話題になりました。

そして、人気を取りやすい要素の一つに、勧善懲悪ものがあります。

正義は必ず勝つ。人はいつの時代も、正義が勝つ物語を好みます。

ピカレスク・ロマンもまた、別種の正義ものです。たとえば石川五右衛門とか。泥棒は確かに犯罪ですが、弱い者たちの為なら誰もが共感してくれるのです。

つまり、勧善懲悪は確実に人気を獲得するための必須アイテムなのです。

しかし、だからといってそればかりを続けていれば、当たり前ですが、お客さんは飽きてくるわけですね。

 

新種の時代劇がポツポツ現れてきた……?

最近、NHKで時代劇のドラマが放送されています。

あらすじを読んでみると、かなり地味な物語だったりします。主人公も決して無敵の強さを持つ武士ではないし、生きるか死ぬかのハラハラさせる活劇でもなかったり。

これはどういうことでしょうか?

本来予算のかかる時代劇で、地味な企画が復活している兆しが見られます。

視聴率としてはさほど高くもなく、NHKのドラマにありがちな低視聴率でありながら、1クール未満で完結するシリーズものが、どんどん作られています。

先日放送が終了したこの作品もそうです。

ブシメシ!


一人NHKが気を吐いているようにも見受けれられますが。

もしこれが、時代劇復活の狼煙だとしたら……それはそれで歓迎したいところですね。

 

 

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2 COMMENTS

奈郎

個人的に気になった事があり時代劇について探していたら辿り着きました
少々思ったのですが、作品における主眼が少し違う気がしました
最近のチートハーレム物の中でもあまりしっかりした作りではない作品との比較ですが…
チートハーレム物の中で最も作りの粗い作品は「子供のヒーローごっこのヒーロー役」で全て持っていくのは「ヒーローの権利」だから、
そう言う視点で読んでる人には楽しいし、そうでない人には「そのヒーローごっこ単なるいじめだよね」となって気持ち悪い
で、時代劇もヒーローが主人公なのは同じなんですが、ここで視聴者の投影先が違っているのではないかと思うんですね
時代劇の投影先はずばり庶民ではないかと思うのです
つまり悪人による暴力に虐げられる自分達を助けてくれる正当な権力者・ヒーローと言うのが娯楽の中心ではないかと思うのです
まぁ、そうだとして社会的な性質として前者とどっちがマシな感覚かって微妙な所ですけどね…
その辺が全体の構成や主人公の「嫌らしさのなさ」に繋がっているのかなと思いました

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あっくんさん

コメントありがとうございます。
なるほど、その視点は気付きませんでした。庶民こそが主人公であると。
確かに、弱者の代表である庶民が安心したところで物語が終わりますね。ハッピーエンドのハッピーは、ヒーローではなく庶民にとってのハッピーであるわけですね。
庶民は別に、水戸光圀や将軍吉宗になりたいわけじゃない、と。
実に面白い視点ですね。

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