脚本家の井上由美子さんは、かつてテレ朝のコンクールの総評でこう発言しました。
「好きなものを書けばいい」
と。
この言葉は多くのシナリオライター志望の人たちを勇気付けました。それまでシナリオコンクールとは、審査員の心証を良くしていかに気に入ってもらえるかが受賞の鍵を握る、と考えられていたからです。
ちょっと考えれば分かることですが、そうやって審査員に取り入るような意図を込めた作品が純粋に人を楽しませるかどうか疑問です。
そこへ、井上さんが上のような発言をされたため、我々挑戦者からするととても
勇気付けられたような気になったものです。
では、その言葉は何を意味しているのでしょうか。また、言葉通りに受け取って作品を書いてもいいのでしょうか。
僕は十数年前から月刊ドラマ誌を購読してきました。最近はあまり買わなくなりましたが、2003年ごろから10年くらいは、ほぼ毎号購入して掲載作品を研究していたものです。
毎年テレ朝コンクールの結果発表が掲載された号を購入し、お三方のコメントを読んできました。
で、ある年に井上由美子さんが「もう好きなものを書けばいい」、と投げやりに仰っていたんですね。
その言葉が一人歩きしてコンクール挑戦者達の心を捉えたわけです。そうか、好きなものを書けばいいんだ、と。
そんなわけ、ないですよ。
冷静に考えればすぐ分かることなのに、審査員からそう言われたら誰だって真に受けますよね。
それ以来、シナリオライター志望者たちは、好きなものを書く呪縛に囚われてしまったんです。
好きなものって、一体何だろう? と。
好きなものを書いて受賞するなら、応募作品は全部大賞だ
ところで井上さんはなぜそんなことを言ったんでしょうか。
僕もその時のドラマ誌を読んだのですが、かなり前のことなので、その掲載号を捨ててしまったようです。残念。
でもその後何度かコンクールの審査評記事で同じ内容のことに触れている年がありました。
最初にその言葉を放ったのは、確か、
狙って書いても似たようなものばかり応募してくるし個性が感じられない。それはスクールなどで学んだ人が多いから、おそらくこう書けと教わっているから公式のような型通りの作品ばかりが来る、と。
ならば好きなように書いた方が個性が出るんじゃないの?というような主旨で言ったと記憶しています。
やや投げやりに言ったような感じでした。
たぶん井上さんは、軽い気持ちでおっしゃったと記憶しています。
でもその主旨は、好き勝手に書け、という意味ではないと感じました。自分の好きなジャンルで、好きなキャラクターを作り、好きなタイプの主人公を好きなように動かして物語を作る。
そんな「好き勝手な作品」が、人の心を打つドラマになるか。
なるわけないですよね。
じゃあ我々は、どう好きに書けばいいのでしょうか。
好きの定義は、自分の個性がにじみ出た好きでなければならない
まず大前提ですが、本当に好きに書いた作品が、誰が読んでも面白くなるわけがありません。なぜなら、自分の好きと他人の好きには、差異があるからです。
食べ物だって自分の好みと他人の好みは違いますよね。それと同じ。自分が面白いと思うものと他人のそれとは違う場合が多い。同じ場合もあり、それが多数派だったりすると、自分と他人の好みが一致することはあります。
その場合、大いなる勘違いが発生します。自分が面白いと感じるものは、誰だって面白いと感じるのだ、という勘違いが。
ビギナーズラックは、シナリオコンクールにもあります。たまたま最初に書いた作品がいきなり大賞を受賞してしまうこと。
何度書いてもカスリもしない我々にとっては羨ましいの一言ですが、「大いなる勘違い」をしてしまった当人にとっては地獄の始まりですよ。だって受賞した以降の作品も、同様に面白いと思ってもらえるか、保証がないのですから。
たまたま受賞作が他人にヒットしたからと言って、今後もヒットし続けるわけがないのは、過去の受賞者がほとんど生き残っていないことから明白です。
じゃあどう書けばいいんだよ、と言いたくなりますよね。
好きに書けばいいと言われたんだから、好きに書きたい。自分の個性を出すには、他人の言いなりになっていては駄目だろう。その通り。
僕なりの解釈を言いますと。
これはとても危険な落とし穴なんですね。好きとは何が好きなのか、どこにも指定がないんです。
自分が感じる好きだと思いがちですが、明らかに違う。
そして、自分の好きと他人の好きが違う(ことがほとんど)なのに、勝手に自己解釈して好きなものを書こうとしてしまう。
だから受賞に至らない。
まず第一に、好きじゃないものを書いてはいけません。それで受賞するくらいなら苦労はしないから。
次に、思いっきり好きなものを書くのもNGです。未来を塞ぐ錯覚に陥らないために、それも駄目。
じゃあ残ったものは何か? それが「個性」です。
個性とは何か。自分の感じる面白さの中で、他人に届く要素を抜き出し、再構成し、肉付けした組成物です。
ちょっと分かりにくいですね。たとえると、
自分の好きから余計な飾り物を削ぎ落とし、残った原料でもう一度ドラマを作り直したもの
だと思っています。もっと分かりにくくなってしまいました、すみません(笑)。
自分の好きと他人の好きには必ず共通点があるはずです。それを見つけることが第一。そしてその原型を拾い上げて、そこから物語を作り直すんです。
うーん、言葉にするのは難しい。なにせ、僕も修行中の身ですからご了承ください。
自分が実績を作れるよう、頑張るぞー。
テレ朝対策は、とりあえずこちらを参照下さい。
コンクールには主催目的があるという話はこちら。