✕ ✕ ✕(バツ)でシーンを分ける書き方がいけない理由を説明します

シナリオの書き方で、柱の立て方に関するテクニックの1つに、「✕ ✕ ✕」というのがあります。
特に正式名称がないので、「バツバツバツ」などと呼んでいます。

一例としては、

(空白行)

  ✕   ✕   ✕

(空白行)

という行を挟み、前後に一行ずつ余白を入れる。の間にはスペースがいくつか入れてあります。

主に、同じ場所で同じ人物を登場させて、ただし時間だけ経過させたい時に、同じシーンを続ける方法です。

これ、使ってみると実に都合がいいんです。
場所を移すほどじゃなくて、しかも少しだけ時間がたってから演技を再開させたい時に使うと便利なんです。

でもこれ、シナリオスクールではできるだけ使うなと言われます。
(シナリオセンターだけかもしれないです)
講師の中には禁止する人もいます。

なぜでしょうか?
今回はそれについて解説します。

ここではバツバツバツって言うのがかっこ悪いので、「バツ分け」と呼んでおきます。

柱を立てずにシーンが変わるのは不自然

まず、そもそもシーンを分割するのは、俳優たちが演じる場所を変えたいからですよね。
ところがこのバツ分けは、新しく柱を立てていません。同じ柱の中でシーンを分割しているのです。

シナリオルールに反するからというより、そもそもこれは映像を撮影する上で混乱を招きます。

柱を新しく立てないのは同じ場所だからですね。同じ場所で、時間が少し経過した後の場面を出したいのでこういった書き方をするわけです。
一見、何の問題もないように思えますが、僕はこれを「作者の怠慢」だと考えています。

どう言うことか。

時間の経過は映像に映らない

特に、少しだけ経過したことを表現するのは、非常に難しい。

現在と5分後のシーンを、同じ柱の中で描く。
たとえば、駅のホームで次の電車が来るのが5分後とか。
カフェでカップルが飲み物を注文して、運ばれてくるのが5分後とか。

この前後の場面を、どちらも描きたい。
でも、間に違うシーンを挟みたくない。そのまま同じ場所で続けたい。
さてどうしようか、という時にこのバツ分けを使いたくなります。

これがたとえば10年後だったら、もっと簡単です。明らかに変化しているはずですから。
都会なら背景がガラリと様変わりするし、人物は歳を重ねる。子供は成長し大人になります。
画面上で変化が一目瞭然なのです。

1年後でも簡単。俳優の服装や髪型を変えれば、これはさっきまでと違うな、と直感的に理解できます。

でも、5分だけ経過させたい場合は? その変化が画面で見えるか?
5分間そのまま画面を固定して撮影し続ければ分かるでしょう。でもそれをやると、何も変わらない映像が流れるだけですから、放送事故扱いです。

不自然さを回避する作業を監督や編集者に任せている

柱が同じで少しだけ時間を経過させても気づきません。普通に撮影したら、時間経過は画面に映らないです。

もちろん、監督はシナリオの内容を愚直に再現したりはしませんから、何らかの工夫がされるでしょうけど。
脚本家からおかしな指示が出ている、という事実は変わらないんです。

この不都合さを説明しますね。
(しつこいですが、ここは本質的な部分ですからきちんと説明します)

バツ分けは、瞬間的に5分が過ぎた場面に切り替わります。
バツ分けした前後は同じシーン。ちょっとだけ時間が経過して、同じ人物たちが再び演技を始める。

ちょっと待った!

5分たったくらいでは俳優に大した変化は起きないし、周囲の小物も舞台もほぼ同じ。誰も5分過ぎたと理解できません。
5分だけ時間が過ぎたことを映像で伝えたい。

言っときますけど、セリフで言わせるのが一番カンタンです。ただし超つまらない画面になりますよ。
何の前振りもなくいきなり主人公が、「あ、5分たったね」とか言い出したら不自然でしょ?

じゃあ雨が降ったらどうだ? 屋外のシーンで雨が降っていたら。
バツ分け前のシーンで降り始め、5分たって役者がびしょ濡れになったら。
時間経過は表現できそうです。5分でびしょ濡れになるとは、かなりしっかりした雨ですが仕方ない。
役者さんたちには我慢して濡れてもらいましょう(笑)。

でもこのバツ分けを何の配慮もなく行い、映像でつなげたら?
雨が振り始めたと思ったら突然、登場人物全員がびしょ濡れになっています。

瞬間的にびしょ濡れになったら視聴者はびっくりしますよ。あれっ、何が起こったの??って。
気づかないうちに誰かにバケツで水をぶっかけられたのか??

短時間の時間経過を表現するのは難しい。だから安易な×分けで逃げるのですね。

ただ、現実には撮影監督が「どうやって5分を視聴者に分からせるかな」と考えてアイデアを盛り込みます。
なので、実際の映像はちゃんと5分の経過を理解できるような演出・編集がされているわけです。

でも、これをセンスのない監督が撮影したらどうなるか。
バツで分けた部分って、どう映像化すると思います?

要するに、どうやって表現するかは監督に任せるよ、と脚本家が言っているってこと。
おまかせコースでお願いします、と。
レストランの料理なら全然構いませんが、脚本家はお客さんじゃありませんからね。同じ厨房の料理人、つまり仲間じゃないですか。その仕事仲間の監督に「あとはうまくやっといてね」と丸投げしてるわけです。

みなさんが仕事をしている時に、自分ができることを他のチームのメンバーにやっといてね、と丸投げしたら、たぶん嫌がられるでしょ?(笑)
それとおんなじですよ。

まあ、中にはそれを工夫してやるのがお前(監督)の仕事だろ、と言ってのける傲慢脚本家もいるかもしれません。

あなたがそうなれるほどの才能と実力とキャリアを備えた人物なら、それもいいと思います(笑)。
ただもしあなたが、これからシナリオを書いて生活するぞ!と燃えている新人だったら?
めっちゃ印象の悪い新人ですよね、それ。

それとも、短時間の経過を表す時はいつも人物を雨に濡れさせますか?(笑)

俳優さんが嫌がりそうですよね。
「また雨ですかぁ……?」とか嫌味を言われたりして。

同じ場所で短時間の経過を表現する手法

では、どうすればいいのか、ですが。

同じ場所(柱)で短い時間の経過を伝えるには、

柱を分割し、別の柱を間に挟む

が一番分かりやすいです。

バツのところで切り、間に新しく柱を立てる。

中間に入る柱のシーンは、直接内容に影響を与えない無関係なシーンを入れる。
たとえば、路地裏で野良猫が鳴いている映像などを入れる。
野良猫自体はストーリーには全く関係のない要素です。ただシーンを分けるためだけに挿入する。

一見関係のないシーンを挟むのって、違和感が出ないかな?と思いますが、やってみると案外すんなり馴染むので、これが実に不思議なんですよね。
しかも切り替わった次の柱で数分間が経過した時点から演技を再開しても、視聴者はついてこれるんです。

柱を変えるのは、それだけ大きな表現力を持っているんですね。

プロの現場では四の五の言ってられない事情もありますよね

これ、実はプロの方は割と普通に使っていたりします。

雑誌「月刊ドラマ」のどの号を開いても、必ずどこかで使われているくらい、頻出しています。持っている方は試しに開いてみて下さい、すぐに見つけられますよ。

だから、バツで分けるのは実際には行われており、駄目というのは古い考え方だと思います。
あと、実際の撮影現場では一刻を争う時間との闘いを繰り広げている場合もあるし、そんな綺麗事を言っていたら現場が回らないという事情もあるでしょう。
とにかく完成させなきゃお話にならないし、仕事は成立しない。

大事なのは、モノが完成して放送させること。最優先事項なのでそれは仕方ないでしょう。

ただし、技術は工夫するところから始まるし進化するもの。

昔のドラマは、そういう工夫で画面が満たされていました。

たとえば、刑事ドラマで主人公の刑事が張り込みをしているとする。
張り込みを開始した時と、次に時間がたった時のシーンを連続で映す時。

最初に主人公の足下を見せ、しばらくして再び見せる時にタバコの吸い殻がたくさん落ちているのを見せる。
その画を見れば、それだけ長い時間張り込んでいたと視聴者にすぐ分かります。
まあこれは古い演出方法ですが、映像をより面白く見せるための努力があちこちに見受けられたんですよね、昔のドラマは。

映像に映っていないものは視聴者には理解できません。それを伝える工夫を怠るということは、面白くする工夫を放棄しているに等しいのです。
視聴者に「そんなに面白くなくていいでしょ」とメッセージを伝えるなんて、少なくともモノを作る人のやることじゃないですよね。

だから安易なバツ分けはやるべきではない、ということ。
バツで分ける代わりの手段は他にないか? と探すことが魅力的な映像を作るきっかけになる。

だからスクールでは、お前の実力を伸ばすためにも安易な方法に逃げない方がいいぞ、と言っているのですね。

じゃあ絶対にやっちゃいけないかと言うとそうでもない。

例外は広い場所でシーンを分ける時です。
(と僕は教わりました)

広い空間に柱を立てたとき。
その場所の別の位置にシーン を移したいなら、バツで分けるのはアリです。

   ✕   ✕   ✕

最終目標は面白いドラマ、面白い映像を作ることなんですから。

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